著者:斎藤孝
OECDの調査で、日本の学力順位は低下している。これは、日本人全体が学ばなくなってきた証左である。その原因は、戦後のアメリカ化、そして、バブル経済とその後の動向により、「リスペクト」の精神がなくなったからである。…というのが、本書の論。
私が斎藤孝氏の著書を読むのは『
教育力』に続いて2冊目なのだが…やっぱり、どうも納得できない、と言うところが残る。何が、と言えば、全体を通して、根拠に乏しく、著者の経験論などを中心に「昔はこうだったのです」と言うものばかりなのである。著者が認めるように、「リスペクトの精神を客観的・統計的に示すのは難しい」だろう。ならば、なおさら様々なものを出していく必要があると思うのだが…。
例えば、著者は読書離れは知への好奇心の減退、と言う。勿論、活字離れが起きている、と言う前提である。が、そこで示す資料は2つ。まずは、読売新聞で1ヶ月に1冊も読まなかった人が51,5%いた、と言う調査結果が出た、と言うこと。そして、東大生の蔵書数が減少している、と言う2つを出す。ただ、この前者に関しては、時系列調査がない。つまり、以前との比較がないのである。例えば、同様の調査では、
全国学校図書館協議会の調査があるが(小学生から高校生の1ヶ月の読書量を調査したもの)、これによれば、著者が高校生であった70年代後半の高校生も45%近くが1冊も読んでおらず、90年代半ばに60%台になったことはあるが、全体を通しては45〜55%くらいで推移していることがわかる。小中学生に関しては、近年の読書運動などもあってか、はっきりと「本を読む」ようになっていることが示される。読む本の内容などは別として、本を読まなくなった、と言う著者の主張に疑問が浮かぶ。また、東大生の蔵書量に関しては、教科書など読み捨ての本を含めて100冊以下の率が増加したことを根拠に挙げるが、辞書や専門資料の電子化など、他の要因も考えられるのではないだろうか? そもそも、読書=教養への意欲、と言う見方そのものはどの程度正しいのだろうか? そこもちょっと疑問に思うところである。
また、昔の日本人は、学ぶ意欲があった、リスペクトの精神があった、というのを福澤諭吉、夏目漱石…などなどの文章・資料から訴えるのだが、彼らを日本人一般に当てはめられるのだろうか? 著者の父が、学生ではなかったが、神保町で同世代の学生が読んだために哲学書などを読んだ、などと言うのを「一般人にも影響を与えた」例とされても「うーん…」となってしまう。
また、それを社会に安易に適応しているのでは? と思うところも気になる。会社が労働者を使い捨てにするなどの問題を指摘しているものの、「若者のメンタルも弱くなっているから、すぐに会社をやめてしまい、フリーターなどになる」と言うのはどうなのか? さらに05年の衆院選での自民党圧勝について、「若者が支持をした」「若者にとって不利なのに、自民を支持したのは教養がないから」と言うなど、首をかしげる部分も多い(05年の衆院選に関しては、まず小選挙区制、と言う選挙制度そのものによる部分が大きい)
アメリカ文化は、教養に「NO」と言う文化で、それを取り入れたことが日本の学びへの意欲低下になった…という辺りについても、もう少し論考が欲しいと思うし…どうも、全体を通して納得しがたい部分が多かった。
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