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『元気な脳のつくりかた』(森昭雄著)を読む その5

第4章 元気な脳のつくりかた

 森昭雄氏の『元気な脳のつくりかた』も、いよいよ最終章です。
 第4章は、書籍そのもののタイトルと同じで、「どうすれば、元気な脳がつくれるのか」という内容になっています。
 しかし、第3章と同じく、その根拠などは一切示されず、ただ、「こうしなさい!」というだけの内容に終始しているのが実情です。そして、もう1つの問題点が、この第4章を読むと感じられます。それは何なのか? ということについて考えながら読んでいただければ幸いです。
 なお、この第4章については、森氏の別の書籍からの引用を多くさせていただきました。
 では、「追記」より、その内容について、です。






・思いっきり運動しよう
 ここでは、運動をすることにより、健康な体が作られること、そして、脳の働きも良くなる、と森氏は訴えます。中でも、前頭前野や、セロトニン神経が活発に動くようになる、と言います。

・外で元気よく遊ぼう
 基本的に上の「思いっきり運動しよう」と言っていることは同じです。森氏によれば、サッカーなどのボール遊びは「ルールや役割がある」ため、その中で何をすべきか、自分の出番まで我慢するなどの経験で、社会性を身につけることができるためにおすすめとのことです。
 そのあと、森氏は、イラストを使って「脳の働きによい、体を動かす簡単な遊び」を紹介します。それは…「だるまさんが転んだ」「旗揚げ体操」「片足立ち」。……なんというか……「だるまさんが転んだ」はともかく、「旗揚げ体操」や「片足立ち」を嬉々としてやっている子供って、それはそれですごく怖いと思うのは、私だけでしょうか?

・昔から伝わる遊びをしてみよう
 ここでは、タイトルの通り、「昔から伝わる遊び」を推奨します。その理由として、二人以上で楽しむものが多く、また、相手によってや、ローカルルールを決めていたことを挙げます。
 別に、「昔ながらの遊び」を否定するつもりはないのですが、既に「脳」とは無関係な世界に入っています。また、テレビゲームは、まるでローカルルールなどを適用できないような書き方も問題と言えましょう。テレビゲームでも、設定などによってハンデをつけるような機能のあるものは多いですし、勿論、そのような機能がなかろうと、最初から取り決めて遊ぶことだって可能です(例えば、スポーツゲームで、○点差以上つけて勝ったら、こちらの勝ち。それが出来ない場合は、相手の勝ち、のような感じで)
 しかも、この昔ながらの遊びと脳については、森氏は別の書では次のように書いています。

 最近、メンコがちょっとしたブームになっています。けん玉をなつかしむ人もいます。どちらも手先や全身を使う昔ながらの遊びですから、よいような気がします(『ITに殺される子どもたち』151頁)

 調べていないのです。しかも、「昔ながらの遊びだからよさそう」と言ってしまう辺りに、ただの懐古主義を見て取ることが出来ます。このような理由で、「昔ながらの遊び」を推奨する姿勢は、科学者のそれではないでしょう。


・毎日十分なすいみんをとろう
 ここもタイトルの通りです。睡眠を取ることは、身体の成長に必要なホルモン分泌などにも大切である、と述べます。そして、十分な睡眠を取るために、部屋を暗くするべきである、と述べます。


・いろいろな本をたくさん読もう
 私たちの脳は使えば使うほどよくなる。その使い方として、読書をするのが良い、と述べます。それにより、脳神経のネットワークが活性化され、前頭前野で内容を記憶・理解したり、様々なことを想像するのでよい、と言います。そして、その後…

 本を読むことによって、想像力や記憶力などがよくなり知識なども身につきます(54頁)

 これは、本当なのでしょうか? 知識が身につく、についてはそうだろうと思えても(もっとも、本が最も効率よく身につくのか、は疑問ですが)、想像力や記憶力がよくなる、というのはどういう根拠なのか全く分かりません。ここも、疑問の残る箇所と言えるでしょう。
 なお、次の頁では、「脳の働きをよくする読書のポイント」としていくつかあるのですが、その中に、「絵があまり入っていない、文字だけの本を選びます」というのがあります。『元気な脳のつくりかた』は、出版社のサイトにも「イラストが豊富でみやすく」と書かれるくらいに絵の多い本です。きっと、脳は働かないことでしょう(笑)


・脳がパワーアップする食べ物をバランスよく食べよう
 脳を働かせるには、エネルギーとなるブドウ糖が必要であり、そのために炭水化物を積極的に取ることを勧めます。しかし、その一方で…

 また、脳にはバランスの良い食事も大切です。できれば、「主食+主菜+副菜+汁物」がそろった献立が理想です。和食の献立にはそれらがそろっていて、栄養のバランスも取れています(56頁)

 炭水化物が必要である、という点は説明がされましたが、それ以外が必要な理由は一切示されません(この項は、これで終わりです) 読んだ子供はこれで納得できるのでしょうか?
 しかも、後半の文章も変です。「和食」だから即ち「献立がそろっていて、栄養バランスが良い」ということにはなりません(「和食」だと、そういう風に揃えやすい、ということは言えるかも知れませんが) 次頁で、「脳の働きによいと言われる食べ物」として、炭水化物、タンパク質、カルシウムという栄養素を示し、それぞれに食品例を挙げるのですが、「炭水化物」にあるのは米だけしか書かれていないなど(別に、炭水化物は麦(パンや麺類など)やジャガイモ、トウモロコシなどにも豊富に含まれています)、先ほどの「昔ながらの遊び」と同様の思想の影響を感じてしまいます。


・手紙や作文など文章を書こう
 文章を書くことは、脳の働きをよくする。特に、紙に鉛筆で文字を書くのは、紙や鉛筆の抵抗感などを肌で感じることが出来るので脳に良い。PCや携帯電話は、指先だけなので脳はあまり働かない、と述べます(この働かない、という表現の問題は、第3章で指摘した通りです)
 そして、脳の働きをよくすること、として、「インターネットや電子辞書を使わず、辞書や図鑑で調べる」「風景がを描く」「メールなどを利用しないで、手紙や文章は手書きにする」「習字をする」と言う4つのを示します。…静物画や人物画はダメなの? とか、色々とツッコミを入れたいところですが、さらにツッコミを入れたいのは、その下にある一文。

・文章を縦書きで書いてみよう!!
 縦に文章を書くことは、横書きに比べると筆圧の変化やスピードが出て、脳の働きがよくなります。また、縦書きは文字がきれいに書けたかを確認しやすいと言われ、美的感覚も生まれるようです(59頁)


 正直、私は森氏の著書は一応、すべて読んでいるはずなのですが、前半の部分の根拠について、これまで一度も目にした記憶がありません。私が忘れているだけなのでしょうか? また、後半については、石川九楊氏の『縦に書け!』という書籍で主張されていることですが、著者は書道家であり、すべてが「思ったから」というだけ、しかも、自身で「今の新聞は、不完全なデータベースみたいなもの」と批判する新聞記事を元に、今の子供がおかしいとか、言っているだけのトンデモ本です。この書は「ゲーム脳」を支持している書なので、その辺りで近づいてしまった感がしてなりません。
 ただ、一つ言えるのは、「美的感覚」などについても、その定義が曖昧である、という点です。「縦書きだと美的感覚が育まれる」と言っても、それを客観的に判断する基準はないわけで、それを正しいとする根拠がないのです。


・脳を上手に休めよう
 何かに集中したり、体を思い切り動かすと疲れを感じることがある。そういうときは、休むことも大事である。好きな音楽を聴く、自然の中でくつろぐ、友達と話をして思い切り笑うなど、上手に気分転換をしよう、ということ述べ、中でも最も脳を休ませるのは、十分な睡眠である、と述べます。


・自然にふれあおう
 自然には、我々の五感を刺激する物が多くあり、その刺激は脳の働きをよくするし、昆虫や草花を観察すると様々な発見がある、と述べます。また、その中にいることで、リラックスできる、とも述べます。
 ここもよく分からないところです。ここで言う「自然」とは何でしょう? 草花や昆虫というのは、即ち「自然」ではありません。例えば、花壇に植えた花というのは、人工物と言えるでしょう。昆虫にしても同様です。
 さらに、「ホタルを見よう」と題して、ホタルの幻想的な光を見ると、脳の働きが良くなる、と述べます。しかし、これについて、森氏は『ITに殺される子どもたち』の中で次のように述べます。

 今回、実際の自然のホタルを暗いなかで幼児に鑑賞させたときの脳の活動を調べてみました。すると、あらゆる実験の中で、もっとも脳全体が非常に活性化するという結果が得られました。特に右脳と左脳の側頭連合野や前頭前野がよく働いていたのです。
 ホタルは180匹を放っています。はじめて見るホタルにびっくりして泣いてしまう子もいました。不思議な感じだったのでしょう(『ITに殺される子どもたち』194頁~195頁)


 これが、森氏の「自然観」と「実験」の正体です。
 「180匹を放った」という時点で、そもそも自然ではありません。それは「人工」と言います。
 そして、その実験というのは「はじめて見せたことで驚いた」というだけの話です。普段からホタルを見慣れている人が見たときはどうなるのか? とかを調べての結論ではありません。


・コンピュータゲームで遊ぶときに注意すること
 ここでは、「遊ぶ前」は、と題し、「毎日ゲームをするときは、1日15分、休みの日は30分までと時間を決めて遊びます」(64頁)と述べます。
 この「15分」という時間、森氏は様々なところで、この時間を述べているのですが、その根拠について言及したものは記憶にありません。なお、講演会で「NHKの朝の連ドラが15分だから」という根拠になっていない言葉を言ったような気がするのは覚えているのですが…。
 しかも、その上で、こんなことを言います。

 コンピュータゲームは、熱中しやすく時間も忘れてだらだととやってしまうことがあります。
 コンピュータゲームをしているときは、前頭前野の働きが低下します。低下したあとに勉強しても成果はあがりません。ゲームは勉強したあとにしましょう(64頁)


 根拠を示せ!
 とりあえず、「だらだらとやってしまうことがある」がないとは言いません。「勉強のあと」というのも、別に良いと思います。しかし、ゲームをしたあとに勉強をしても成果はあがらない、というのはどこで確かめたのでしょうか? これまでの主張では、テレビを見ること、携帯電話やPCの画面を見ること、などもゲーム脳にする、と述べているわけです。そこまで、人々の行動は成果のない状況を続けているのでしょうか? 森氏の主張が事実だとすれば、世界の技術水準は20年近く前から停滞、いや、衰退していなければおかしくなってしまうわけですが。
 その後、「パッケージの年齢確認を見てソフトを選ぶ」「部屋を明るくして」などを挙げています。
 その後、今度は「遊んだ後は」と題し、ゲームをしたあとは、本を読んだり、日記を書いたりしましょう、ということを述べます。ただ、ここについても、これまで、それをするとどうなるのか? などについて具体的な理由を挙げたものはなく、ただ、「ゲームをやったら、その3倍、読書して感想文を書かせろ」などと講演会他で言っているのみ、です。

 67頁では、再び「コラム」と題されたものがあり、そこは、以下のような内容です。

・約束をしよう! 殺人ゲームはしない
 人を次から次へと殺していくコンピュータゲームを繰り返し行っていると、それが脳の中に記憶として残ります。大脳皮質の中にある古い脳で動物脳というところに残ってしまうと、ある日突然、ゲームと同じような行動をとりやすくなってしまうことがあります。
 実際にゲーム感覚で事件を起こしてしまった人もいます。事件を起こした人の中には、殺人ゲームで遊んでいたという人もいて、ゲームと関係があるのではないかと問題になっています。
 脳が発達段階の時期に、血が飛び散るようなゲームはやらないようにしましょう(67頁)


 一段落目については、一体、いくつの仮定を積み重ねているのでしょう? 「ゲームを繰り返し行う」と「記憶に残る」その中で、「動物脳に残る」場合には、「ある日突然」に「ゲームと同じような行動を取る」ことが「容易に」「なってしまうことがある」 最後の読点からの文章など、こんな言い回しがあるのか、と変な感心をしてしまうほどです。
 この文章の内容は、森氏の妄想と言えるでしょう。森氏は、精神科医でもなければ、医師免許も持っていない人物ですから当然、犯罪者などと面会したことはありません。ですので、犯罪を犯した人が、ゲームの映像が動物脳に残っているのかどうか、等と言うことを調べたこともありません(その前に、動物脳に残ると、犯罪を犯す、というロジックも理由がわからないのですが)
 また、ゲームをしていた人が犯罪を起こしたことはありますが、それをそのせいだ、と騒いでいるのは他ならぬ、森氏です。しかも、それは、細かい検証などがなく、ゲームをしているらしい、などの言葉だけで、です。
 先に引用した、第3章のコラム同様、最悪の論理展開(論理になってない気もしますが) マッチポンプという言葉以外には見あたりません。


・いやな気持ちを感じたときは

 嫌な気持ちを感じるのは、理想の自分と現実の間にギャップがあることから生じる。そのような気持ちを抱え続けていると、感情のコントロールができなくなってしまうため、自分なりの解決方法や気分転換を図ることが大切である、と述べます。
 ただ、ここで疑問なのは「嫌な気持ちを感じる」というこが、どういうことなのか? という点です。理想と現実の間のギャップにより生じることもありますが、それだけでないことは言うまでもありません。森氏は、

 いやなことの中には、「今の自分よりもっとよくなりたい」という向上心もあります。悩むことで自分を見つめ直すことにもつながります(68頁)

と述べるわけですが、最初の定義から言えば、それ以外を全く想定していないのは明らかでしょう。
 なお、69頁では、「気持ちのコントロールをする方法」として、「気分転換、リラックス」に「散歩をする」「夢中になることを見つけ、やってみる」「友達と思い切り遊ぶ」「好きな音楽を聴く」の4つを、「新しい発見をしてみる」として、「草花や昆虫など、自然観察をする」「水族館、博物館、美術館などに行ってみる」を挙げています。


 以上が、第4章の中身となります。
 本書の中に、「なぜ、それを進めるのか?」という根拠がないこと、そして、その根拠について別の著書で記したものが全く根拠と言えないものである、ということはご理解いただけたのではないかと思います。
 そして、もう1つ感じるのが、「伝統的なものは良いもの」「新しいものは悪いもの」という二分論、「日本のものはよいもの」という明らかにおかしなナショナリズムがある、という点です。
 まず、勘違いしていただきたくないのですが、私は、伝統的な文化を否定するつもりはない、ということです。それらは、すばらしいものである、という風に考えています。
 しかし、それは、「脳科学」などと無関係にすばらしいものだと思うのです。「脳科学」ですばらしさが立証できずとも肯定すべきものでしょうし、他の文化が「脳科学」的に優れていたからといって卑下するようなものではない、という風に思うのです。
 この第4章の内容を読んでいて感じたのは、「根拠不明」といういつも通りの感想とともに、森氏の変なナショナリズムと、その危うさです。
 様々なものなどを、一つの物差しだけで判断してしまう、ということは非常に危険なことです。それは、その物差し以外の価値観を認めない、ということですし、また、その物差しで劣ったら、それだけですべて劣った存在として認識されてしまう、ということでもあります。それで良いのでしょうか?
 森氏のようなやり方は、一見、伝統文化を礼賛しているように見えて、実は、伝統文化を1つの物差しだけで捉え、それで劣ったら否定してしまう、という問題の多いやり方に思えてなりません。

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