著者:河合幹雄
治安悪化が叫ばれる中、その最たるものとして語られる殺人。しかし、殺人の件数そのものは増えていない。そして、それは、どのようなものなのか? なぜ、治安悪化と言われるのか、というメカニズムについて考察するもの。
まず、第1章では、殺人事件を、「統計的に傾向を推し量ることも不可能なほどにまれな事例」と留保した上で、各種統計、資料を基に類型化していく。
この第1章は、270頁弱の本書の150頁あまりを費やすのだが、読んでいて最初に思ったのは、「面白い」ということである。日頃、殺人といってイメージするような犯人の姿が崩れる楽しさと、実際の各種事件の人数などに対する興味。不謹慎とか、下世話とか言われるかも知れないが、知らなかったことを知る楽しさを感じる。
と、同時に、いくつかの事件を分析(?)して、社会がこうだ、と論じる書籍などに対して感じた疑念の正体が明らかになった、という感触を得た(この手の書籍の具体例としては、『
こんな子どもが親を殺す』(片田珠美著)、『
アベンジャー型犯罪』(岡田尊司著)などを挙げておこう) これらの書では、そもそもの分析が、週刊誌報道を元に想像を働かせただけだったりする、という部分でも疑問なのであるが、ただでさえ統計的傾向を語るには少なすぎる殺人の、その中の僅かな事例をもって語っているわけである。そういった言説に対する疑念としても、ここは機能しているように感じる。
そのように、殺人を類型化した後、今度は、第2章で事件発生から、取り調べ、裁判、刑務所生活、出所に至る過程を記し、第3章で「殺人」に纏わる様々な事柄について整理する。そして、終章で、裁判員制度の話をまじえながら、これまでの内容をまとめる、という構成を取る。
上に書いた、殺人の類型化などについての部分とも重なるが、まず、殺人というものを治安などについて語る際の指標とすることの難しさ、というのを何よりも強く感じた。事件の原因論などもそうであるし、被害者救済などについてもそう(例えば、最も多いのは家族殺。ということは、被害者遺族は加害者となってしまう。そのようなことを考えると、メディアでものを言えるのは、極めて限定された存在になってしまう、など。勿論、彼らを無視して良い、というわけではないが) また、「治安」と司法の関係などについても、興味深い。
終盤の社会の希薄化と日本独自の更正システムの崩壊。その中での裁判員制度に期待されるもの、というのもなるほど、と納得出来るものがあった(もっとも、裁判員制度の場合、運営などについて、様々に問題点はあると感じるが)
細かいところについて、疑問点を感じたところはあるが、全体像を追って考えるからこそ、の重要な指摘に溢れた書になっているように思う。
No.1733
テーマ : 書評 - ジャンル : 本・雑誌
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