(書評)戯史三国志 我が土は何を育む
- 23, 2012 08:13
- や行、ら行、わ行の著者
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著者:吉川永青
圧倒的な戦力差の中、北伐に挑む蜀。しかし、蜀の右車騎将軍・廖化は、それに反対し、国を畳むことべきと訴える。その背後には、彼がすごした日々があった。北伐を断行する姜維に対し、廖化は語る……
『戯史三国志』シリーズ第3作。
これまで、陳宮、程普という、あまり主役にならなかった人物を主役に添えたシリーズ。一応の(と、信じています)完結編である本作では、廖淳(廖化)という、これまで以上にマニアックな人物を主役に添えた作品となった。正直、蜀に長年使えた武将で、蜀の滅亡の直後にその人生を終えた人物、という印象しかない。これと言った活躍とか、そういうものの印象が殆どないのである。
しかし、そういう人物だからこそ、この物語が成立しているのだな、と思う。
物語は、黄布賊の子供であった廖淳が、曹操の軍に家族を殺され、義姉を犯され、自らも命を落とそうとする、と言うところから始まる。そんな彼を拾ったのは、ヤクザ者と変わらない劉備だった。劉備に使え、張飛によって鍛えられる。しかし、一騎当千の猛将というわけでも、智謀に優れた人間と言うわけでもなく、常に挫折を経験する。そして、そのたびに誰かに助けられ、また、各地にかけがえのない存在を作っていく……。
勿論、乱世を生き延びて、蜀の重鎮にまで上り詰めた廖淳という人物は、実力者だと思う。しかし、それは突出した人物ではなく、様々な人物との関係があったからこそ、なのだろう。武勇に優れていた関羽は、それゆえに傲慢に振舞ってしまうし、理想はあっても劉備には甘さが残る。かといって、冷徹な諸葛亮のやり方は、正論とは感じても納得できないものも感じてしまう。さらに、敵対勢力となる魏、呉にもまた……
そんな出会い、として、そこでの経験と言うのが廖淳を育て上げていった、というのは間違いないし、また、その出会いこそが何がもっとも大事なのか、という考えへ至らせていく。漢帝国というものが滅びを向かえ、1つの国の中で様々な勢力が対立している。しかし、決してすべてが憎しみあっているわけではない。決して英雄ではなく、様々な人々を見てきた廖淳だからこそ、その結論へ至る……という過程は非常に説得力を感じるものだった。序盤、「国民の苦しみに対し鈍感になってでも、国を守りたい」という姜維と議論をするシーンがあるのだけど、彼の語る半生は、まさしく、姜維の疑問に対する回答になっている。
この作品では、廖淳という人物を通して、ではあるが、『三国志』という中では、様々な事情で、主君を、国を換えて生きてきた人物は数多くいる。作中に出てくる姜維や夏侯覇なんて人物だってそうだし、はたまた、過去2作の主役である陳宮、程普だって同様。その事情は色々とあるはずなのだけど、絶対に「かけがえのない存在」っていうのはそれぞれで作っていたはず。単純に敵味方と言えなくなっていく……というのは間違いないだろう。廖淳ほど、明確にそれを意識したかはともかくとしても、対立する勢力に大切な存在がいて、狭間で悩んだ人間と言うのは沢山いたのだろう。廖淳という人物の物語を通して、国とは何か? 絆とは何か? なんていう壮大なところに思いをはせた。劉禅の「愚鈍さ」を象徴したとされるシーンをそうではなく、廖淳の思いを受け継いだ、とする描き方に、より、それを感じる。
多少、(特に後半は)駆け足気味とは言え、黄布の乱から蜀滅亡までを生きた人物として三国志の主だった出来事を網羅するなど、三国志の流れを把握する、ということも出来る。そういう意味でも非常に面白い作品だと思う。
これで、シリーズが完結とのことだが、著者のブログでのコメントなどを見る限り、あくまでも「一応」ということのよう。新しい作品を出してもらいつつも、このシリーズも、たまに、で良いから出してもらいたいな、という欲張りな要望を出して感想を締めようと思う。
No.2859

![]() | 戯史三國志 我が土は何を育む (2012/03/20) 吉川 永青 商品詳細を見る |
圧倒的な戦力差の中、北伐に挑む蜀。しかし、蜀の右車騎将軍・廖化は、それに反対し、国を畳むことべきと訴える。その背後には、彼がすごした日々があった。北伐を断行する姜維に対し、廖化は語る……
『戯史三国志』シリーズ第3作。
これまで、陳宮、程普という、あまり主役にならなかった人物を主役に添えたシリーズ。一応の(と、信じています)完結編である本作では、廖淳(廖化)という、これまで以上にマニアックな人物を主役に添えた作品となった。正直、蜀に長年使えた武将で、蜀の滅亡の直後にその人生を終えた人物、という印象しかない。これと言った活躍とか、そういうものの印象が殆どないのである。
しかし、そういう人物だからこそ、この物語が成立しているのだな、と思う。
物語は、黄布賊の子供であった廖淳が、曹操の軍に家族を殺され、義姉を犯され、自らも命を落とそうとする、と言うところから始まる。そんな彼を拾ったのは、ヤクザ者と変わらない劉備だった。劉備に使え、張飛によって鍛えられる。しかし、一騎当千の猛将というわけでも、智謀に優れた人間と言うわけでもなく、常に挫折を経験する。そして、そのたびに誰かに助けられ、また、各地にかけがえのない存在を作っていく……。
勿論、乱世を生き延びて、蜀の重鎮にまで上り詰めた廖淳という人物は、実力者だと思う。しかし、それは突出した人物ではなく、様々な人物との関係があったからこそ、なのだろう。武勇に優れていた関羽は、それゆえに傲慢に振舞ってしまうし、理想はあっても劉備には甘さが残る。かといって、冷徹な諸葛亮のやり方は、正論とは感じても納得できないものも感じてしまう。さらに、敵対勢力となる魏、呉にもまた……
そんな出会い、として、そこでの経験と言うのが廖淳を育て上げていった、というのは間違いないし、また、その出会いこそが何がもっとも大事なのか、という考えへ至らせていく。漢帝国というものが滅びを向かえ、1つの国の中で様々な勢力が対立している。しかし、決してすべてが憎しみあっているわけではない。決して英雄ではなく、様々な人々を見てきた廖淳だからこそ、その結論へ至る……という過程は非常に説得力を感じるものだった。序盤、「国民の苦しみに対し鈍感になってでも、国を守りたい」という姜維と議論をするシーンがあるのだけど、彼の語る半生は、まさしく、姜維の疑問に対する回答になっている。
この作品では、廖淳という人物を通して、ではあるが、『三国志』という中では、様々な事情で、主君を、国を換えて生きてきた人物は数多くいる。作中に出てくる姜維や夏侯覇なんて人物だってそうだし、はたまた、過去2作の主役である陳宮、程普だって同様。その事情は色々とあるはずなのだけど、絶対に「かけがえのない存在」っていうのはそれぞれで作っていたはず。単純に敵味方と言えなくなっていく……というのは間違いないだろう。廖淳ほど、明確にそれを意識したかはともかくとしても、対立する勢力に大切な存在がいて、狭間で悩んだ人間と言うのは沢山いたのだろう。廖淳という人物の物語を通して、国とは何か? 絆とは何か? なんていう壮大なところに思いをはせた。劉禅の「愚鈍さ」を象徴したとされるシーンをそうではなく、廖淳の思いを受け継いだ、とする描き方に、より、それを感じる。
多少、(特に後半は)駆け足気味とは言え、黄布の乱から蜀滅亡までを生きた人物として三国志の主だった出来事を網羅するなど、三国志の流れを把握する、ということも出来る。そういう意味でも非常に面白い作品だと思う。
これで、シリーズが完結とのことだが、著者のブログでのコメントなどを見る限り、あくまでも「一応」ということのよう。新しい作品を出してもらいつつも、このシリーズも、たまに、で良いから出してもらいたいな、という欲張りな要望を出して感想を締めようと思う。
No.2859

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