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(書評)気になる科学 調べて、悩んで、考える

著者:元村有希子

気になる科学 (調べて、悩んで、考える)気になる科学 (調べて、悩んで、考える)
(2012/12/21)
元村有希子

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毎日新聞環境科学部の記者である著者が、紙面・ブログなどで発表したものを改稿したコラム集。全103編収録。
「科学」というと、堅苦しい印象があるが、本書に収録されたものは、3頁程度の分量。内容も、自然科学のトピックスを中心に、身近なところでこういうことはできないか? こんなことも説明できるのではなかろうか? というようなところへと話を広げるので、肩肘張らずに読むことができる。内容は、かなりしょーもないものも多いのだが、『科学は誰のものか』(平川秀幸著)などによれば、「専門家だけでなく、専門家と素人、はたまた、素人同士と、多くの人々が、科学に興味を持ち、それについて話をする、ということが大事。それがより良い科学へとつながる」と科学コミュニケーションの大切さが問われている。その意味で、本書も実践例と言えるのではないかと思う。書内では科学というのが、どういう営みなのか、などが簡潔にしるされた部分などもあり、そういう意味で読むべき部分はあると思う。科学と一切関係のない話も多いのは事実としても。
……が、全体を俯瞰するとどうにも手放しで評価しづらいな、と感じてしまう。
というのは、まず1つ目が、各コラムで綴られるトピックスのほとんどが自然科学にまつわるもので、しかも、そのトピックス以外の知見とかが無視されたようなものが散見されること。どういうことか、というと、「○○ということが発見された。最近は、△△が増えたといわれるが、そういうところにも、この発見が関与していくのではないかと思う」なんていうようなものがある。素人がある発見などを「こういうことについても応用できるようにならないか」なんていう発想は別に良い。でも、「△△が増えた」なんていうのを確かめよう、というのが「科学的態度」といえるのではなかろうか? と思うわけである。そういうところに無頓着というのが気になった。
また、そこに関連すれば、文系・理系というような言葉がしばしば出るのも気になる。こういうと何だけど、文系だから、論理的なものが弱いとか、理系だから、というのが私はナンセンスだと思う。例えば、先の「△△が増えた」なんていうので言えば、そういうのを確かめる社会調査とかは「文系」かも知れない。でも、調査方法のサンプリングや分析は「統計学」など、数学の知見が必要になったりする。そういうのを考えると……と思うのである。
それから、これは、ある意味、揚げ足とりなのかもしれないけど、一般論としては正しいのだろうけど……と思ったところがあったこと。
第5章前半は、疑似科学などの話をする。その中で、ⅰPS細胞に乗じておきたデマ報道の話題が出てくる。読売新聞が、自称・ハーバード大客員教授の森口尚史氏が臨床応用をして成功した、とスクープした事件。その後、それがデマであるとわかり、その顛末、そして、査読付の論文の存在などである程度、正確性を確保できるがそれでも完璧がないのが科学報道の限界という。これ自体は、なるほど、と思わせる。
でも……それを出すなら、著者が自分でやったことを書いたほうがより読者に訴えたんじゃないの? と思うのだ。
というのは、著者は、現在もなお、教育行政などにはびこっている疑似科学「ゲーム脳」を蔓延させてしまった張本人なのだから。2002年7月8日の毎日新聞夕刊1面で「ゲーム脳」を大々的に取り上げられた段階で、ゲーム脳についての論文は存在していなかったし、また、その後、提唱者である森昭雄氏が作った日本健康行動科学会も機能していなかった。そして、著書である『ゲーム脳の恐怖』も発売前。森口氏が、マスコミ各社に売り込みをしていた、というようなことも綴られているのだが、森昭雄氏も商売のためにそれを行っていた、と見るのが妥当だろう(新聞社に書籍を献本し、書評などで取り上げてもらおうとするのも、売り込み) 著者はその記事を書いた人間なのだから、その経緯、そのときの自分がどう考えて書いたのか、などをしっかりと書く方が、他の会社の失敗例を第三者的視点で綴るよりもより、興味深いものになると思うのだが。
なんか、そういうのを考えるとどうにも……と感じてしまった。

No.3145

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