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(書評)正義という名の凶器

著者:片田珠美

正義という名の凶器 (ベスト新書)正義という名の凶器 (ベスト新書)
(2013/05/09)
片田 珠美

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「あなたのやったことは間違っている。私が正しい」という考えの下、悪を徹底的に糾弾していく。様々な問題の背景に、「正義」という感覚がある。人はなぜ、正義を振りかざし、相手を叩くと気持ちよくなるのだろう? そして、なぜターゲットを変え、何度もこの行為を繰り返すのだろう?
「自分は正しいのだ」という感覚というのが、物事について歯止めが利かないようにする、というのはよく言われること。そのテーマについて、心理学研究の成果とか、精神医学の研究の成果とか、そういうのが載っていると思うでしょ? それは大間違いだ!!
出てくるのはせいぜい、「フロイトはこう指摘している」程度で、学術的な研究成果などの紹介はない。替わりにあるのは、俳優である塩谷瞬氏が二股騒動でバッシングされていたけど、そのバッシングをしていた人の背景には、羨望とかがあるに違いない! というような根拠のない決め付け。
いや、バッシングしていた人の中には、そういう羨望を「正義」の名で覆ってやっていた人がいるのかも知れない。けれど、そうでない可能性もまたいくらでもある。そんなもの、いくらやっても証明などできないし、それを例として挙げること自体が無意味なこと。そういうものを連発して「こうだ」ということ自体が著者の議論の進め方のヘタクソさの証明としか言えない。まして、著者が産経新聞に書いたコラムに対してもバッシングが来たのもそのせいだ、とか言われちゃうと余計に……
さらに読んでいると、著者の過去の書などと関連させて、「今の社会はこうなったから、余計に~」みたいなものがあるのだけどそれは本当なの? と思うところも沢山。
例えば『一億総ガキ社会』と同じく、世の中が消費生活化し、メディアなどでは「あきらめない」が連呼。しかし、経済の停滞などがあるので、それが満たされない。さらに地域社会などで「挫折」の機会もなくなってしまった。そういう中で、不満が、「正義」を語ってのバッシングなどが多くなった背景にある、というような話を展開する。
メディアなどによってそういう意識が強くなったって根拠は何? 地域社会の強かった時代はバッシングとかはなかったの? 確かに、ネットを通じてのものはなかっただろう。でも、狭い地域社会の中での酷いイジメなどは存在していた。また、これまで権威とされてきた教師や医者などが失墜したことで、「独りよがりな正義」によるバッシングがおきやすくなった、というけど……「権威」による恣意的な正義感とそれに後押しされたことによる強烈なバッシングだって過去、山のように起きているのは無視ですか? と思えてならない。独りよがりだろと、そうでないにせよ、「正義」の名でのバッシングという意味では同じ、むしろ、権威による後押しがある分、苛烈になるってことだってあるんじゃなかろうか? そういうのを省みずに「こうだ」と言われても、と感じてしまうのだ。
こういう風に書いたら、私も著者に「正義の名で自分をバッシングしている奴」とか言われるのかな? とちょっと思ったり(笑) しかし、違法行為をしてまでのバッシングはともかく、おかしな内容に「おかしい」と批判をすること自体は別に良いことだと思っている。少なくとも、後書きで著者が述べている産経新聞のコラムは、単純な事実誤認があったり、根拠のない決め付けばかりだったりとゴミレベルであると思っている。

No.3161

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