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(書評)スマホ中毒症 「21世紀のアヘン」から身を守る21の方法

著者:志村史夫

スマホ中毒症 「21世紀のアヘン」から身を守る21の方法 (講談社プラスアルファ新書)スマホ中毒症 「21世紀のアヘン」から身を守る21の方法 (講談社プラスアルファ新書)
(2013/07/23)
志村 史夫

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スマホを使用していると、情報の波に埋もれ、思考力や想像力が失われてしまう。日米の大学、企業にてITの研究を続けたという著者が情報に振り回されず、実り多い生活を送る方法を記した書。
……という宣伝文句が書かれている妄想回顧主義エッセイ。とりあえず、タイトルから精神疾患としての「依存症」について書かれた書籍と思う人がいるかもしれないが、そういう医学的な話などは一言も記されていない。
著者の主張というのは、道具というのは人間の活動の手助けをするために作られたもの。ところが、インターネット、スマートフォンというようなものは、情報にあふれ、人間のほうがそれに振り回されるようにしてしまう道具である。しかも、ITの発達によりかつてと比べれば、「知識」は持てるようになったが、それを利用する「知恵」が失われてしまった。特に、若者は顕著だ、と言うものである。
とりあえず、その主張自体はまぁ、良い。それをちゃんと証明するだけの根拠を示し、論理的に証明するのであれば。ところが、著者は一切の根拠を示すことなく、「こんな人間がいた。ITのせいだ」「こんなのがいると聞いた。これもだ」と聞きかじりの特殊事例を一般化し、これまた根拠のない「昔はこうじゃなかった」と妄想回顧主義を綴っていくだけなのである。
本書の中で根拠らしき情報が記されたのはわずかに2箇所。
90頁にある学校の教員が考える、学生に求める資質と学生の現状をクロスさせたデータ。これで、パソコン操作以外はほとんど、求める資質に程遠い、というものを元に、ITに毒された若者はダメと話を展開させる。ところが、これは致命的にデータを読み間違えている。というのは、この調査というのは、若者に聞いたのではなく、教員に聞いたもの。つまり、教員の意識調査でしかない、ということ。意識調査というのは、調査対象となった側の意識によって大きく変化してしまう。今の若者のコミュニケーション能力は低い、と思ってみるときと、高い、と思ってみるときで、同じ人間の評価も変わってしまうだろう。さらに、ここで示されたのは単発での結果。他の世代との比較すらなく「こうだ」と言う時点ででたらめ論法である。
126頁にある日米中韓の高校生の意識調査からは著者のご都合主義解釈が見えてくる。ここでは、「えらくなりたいか?」という質問に対し、「強くそう思う」という高校生が日本では極端に少なく、その理由が「責任が重くなる」だったことで、「今の若者には覇気がない」と言う。国際比較の場合、その言葉の持つ意味のニュアンスの違いがあることも多く、それを言うのは慎重になる必要があるのだが、とりあえず、それは良いとしよう。そして、そう解釈したのも良いとしよう。しかし、ここで比較すべきなのは、133頁。こちらでは、著者が大好きな『男はつらいよ』の車寅次郎が、マドンナから身を引くことについて、社会的地位が違うことなどで、相手に迷惑をかけることを避けようとするやさしさだ。分をわきまえていて素晴らしいと絶賛する。
そういう影響があるから、と身を引く車寅次郎は「覇気がない」と解釈は出来ないだろうか? 逆に、自分の能力の限界などを知っているから、という「分をわきまえた」結果という解釈だって出来るはずだ。同じようなものであっても、自分が好きなものは絶賛し、嫌いなものは罵倒する。なんとも立派なことである。
というか、この2つはまだデータを示したものだけど、これが例外的なもので、著者は一切の根拠もなく「こうだ」という断定を連発する。第2章などは特にひどくて、自分の学校にこんな学生がいた。こんな学生がいたと耳にした。それはITのせい、と短絡的断言だけが繰り返される。私は、90年代~00年代初頭くらいに学生時代を送った。大学時代になってようやく携帯電話やネットが爆発的に普及した、という世代である。そんな世代なので、著者が示すような板書もせず、黒板を携帯のカメラで撮影して終わり、というような学生は見たことがない。けれども、授業中に配られるレジュメだけを貰ってメモ1つ取らない人はたくさんいたし、勿論、授業に出ず、レジュメをコピーして終わり、みたいなのもいた。これは某証に過ぎないけど、昔からまじめに授業を受けないで、奇妙な行動で教員を?然とさせる大学生、なんていうものを描いた小説とか、ドラマとか、漫画とかはたくさんある。そういう意味で、昔から存在していたのではなかろうか? まして、今の若者はコミュニケーション能力がないとか、礼儀を欠いている、なんていうのは太古の昔から言われていることである。過去の文献などを調べると、著者が含まれる団塊世代などだって同じような評価をされていたわけなのだが。
そして、そのように根拠を示すことがないのでちょっと調べれば完全な大間違い、ってこともしばしばある。例えば、102頁では、衛生管理が徹底してきている中なのに、O-157による食中毒が発生したことをあげ、「自分の若い時代は、汚いものを食べたけど、食中毒になったりはしなかった。衛生管理により、体内の有用な菌などがいなくなったけっかの文明病の一種」などと言う。元々、日本は衛生管理がしっかりとしていて食中毒事例というのは少ないので、周囲で死者が出た、という経験の持ち主は少ないのだろう。しかし、著者が10代だった1960年代でも年間100人程度が食中毒で死亡していたのが、現在は一桁台(2009年、10年は0人) しっかりと激減しているのである。著者の主張がおかしいのはわかるだろう。
そして、こんなものは、それこそ、インターネットで検索すればすぐにわかることである。私にだって調べる程度の知恵はある。スマホなどと縁遠く、知恵のあるはずの著者が、「本を書くのに、事実確認をする」という程度の知恵すらないのはなぜだろう? また、そうやって出来るだけ正しい情報を提供しようとする、というのは読者に対する最低限の礼儀ではないのだろうか?
はっきり言って、IT嫌い、スマホ嫌いの著者が、それを正当化するために屁理屈をこねているだけの書、という評価しか出来ない。

No.3252

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