著者:後藤和智
キレやすい、やる気がない、昔はこうではなかった…。昨今、飛び交う数々の「若者論」。それらは、教育や政策と言ったものにまで影響を与えつつある。しかし、それらの言論を検証すると、多くが根拠がない、根拠の薄いものである。そして、それらによって出来てしまう問題について綴った書。
ということで、うちのブログにもしばしばコメントを頂く後藤氏の著書。一応、私自身、後藤氏と面識があり、問題意識を共有している部分がある、ということでタイトルの「書評」のあとに「?」を入れることにした。
本書の構成としては、序章で「ニート問題」についての著書で共著作を出した本田由紀氏との対談。1章で統計を中心にした犯罪凶悪化などに対する検証、2章でネット・ゲーム有害論に対する検証。3章でニート・不登校などに関する検証。4章で、それらの背景、及ぼす問題・危険性。最後に、著者の勧める書籍・資料の紹介…という構成になっている。
実のところ、私自身が
著者のサイトを良く見ている、ということや、著者の勧める書籍をある程度読んでいる、ということもあり、大体のところは知っている内容ではある。また、突っ込んだ議論という部分は少ない。ただ、犯罪凶悪化だとか、ネット・ゲーム有害論だとかについてコンパクトにまとめられており、分類して考えられると思う。勿論、初めて触れる人には、そういう言説の根拠の弱さなどを実感できると思うが。
やはり、重要なのは4章であろう。統計・データを無視した若者論の蔓延、そして、それが実際の教育や政策に反映されてしまう危険性。そして、そういうものが、実際の問題を覆い隠してしまう危険性。ここについては、私自身も強く感じているところであり(私自身、
07年2月に行われた森昭雄氏の講演会に行ったわけだが、この主催は町田市私立幼稚園協会、後援に町田市教育委員会と、公的機関によってニセ科学が広められている事例である)、強く主張されなければならないところだと思う。また、そこで語られる構図は、若者論に限らずに広めて考えられるものだろう。そういう意味でも、意味のある書だと思う。
ただ、個人的に一つだけ気になったこと。
これは、著者の問題、というよりも、編集側の問題なのだと思うが、書籍の引用とかをしているのに、「とある論者は…」とぼかして、章末に注釈として載せるのはどうなのだろう? 注釈を読めば、その論者が誰だか丸わかりなのであまりぼかした意味があると思えないし、逆に引用とかもあるのに一々、章末の注釈を読まないと誰の何と言う書からなのか、というのがわからない、というのはちょっと読みづらい。「毒が強すぎて、幾度も修正した」とのことなので、その辺りの事情があるのかな? とは思うのだが…。ちょっと気になった。
通算1213冊目
テーマ : 読んだ本。 - ジャンル : 本・雑誌
「とある論者」について
それなのに、いきなり本題ではない部分への反応で恐縮です。しかも肝心の本も未読なのですが、編集者でもあったりするのでつい(^^;;
出典や筆者を引用文のすぐ近くには示していないのだとすると、あえてそうしたい意図があったのではないでしょうか。というのは、そんなことすると編集作業が面倒になるのです。校正時に引き合わせて照合確認する手間もありますが、注釈が増減したり、文章を入れ替えたりすると、整合性を保つのがなかなか大変なのです。
ですから、著者のメッセージのひとつなのではないでしょうか。たとえば、すぐに思い浮かぶのは「誰が言ったのかではなく、なにが言われているかに注目してほしい」とか。
勘ぐり過ぎかもしれませんが。
亀@渋研Xさんへ
こちらこそ、よく拝見させていただいております。コメント、ありがとうございます。
>出典や筆者を引用文のすぐ近くには示していないのだとすると、あえてそうしたい意図があったのではないでしょうか。
そのような可能性も勿論、十分にあると思います。
仰るように、誰の何という著書、と言うと、その書限定、というように思える部分が大きくなってしまいますし。
もっとも、この部分、私自身が後藤氏のブログや、そこで取り上げられた著書を読んでいることが多いので、結果、「あからさまにこの人のこの著書とわかるのに…」というもどかしさみたいなものを感じ、余計に強く感じたのかも知れません(^^;)
コメントの投稿