(書評)カクメイ

著者:新野剛志

カクメイカクメイ
(2013/11/22)
新野 剛志

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1988年。生放送のバラエティ番組で突如、お笑い芸人が予定外の行動を始めた。それは、スポンサー企業の悪口となるネタの披露。放送後、その芸人が述べたのは、そのような行動を取るように脅迫されたからだという。それは一体何のために? 立て続けに起きた後、次なる脅迫として届いたのは、超人気番組の視聴率が一定以上になったら無差別に人を殺す……というものだった。
なんか、読んでいて『オリンピックの身代金』(奥田英朗著)が頭に浮かんだ。
冒頭に書いた文章だけだと、テレビ局側の視点で「誰が犯人か?」というようなところを探す物語っぽく感じるのだけど、実は犯人側の視点でも物語が綴られている。1988年、後に「バブル」と呼ばれる好景気が日本を包む中、その雰囲気を最も示していたのがテレビ局。多くの芸能人が、その雰囲気の中で金をもうけ、狂乱をあおっていた。しかし、その好景気の狂乱は全ての人間にもたらされていたものではなかった……。特に、下層といえるような人々にとっては……
先に書いた『オリンピックの身代金』は、1964年の東京五輪の開催を前に、高度経済成長としかし、地域などによる格差が色濃くなる中での犯人の虚無感というのが強く印象に残る作品であった。それに対して、本作は『オリンピックの身代金』ほどには格差があるわけではない。けれども確かに格差は存在している。そして、その虚無感が犯人である修介を包んでいる。『オリンピックの身代金』の犯人・島崎は、虚無感から爆弾を使って五輪そのものを破壊しようとするわけだけど、修介らの「カクメイ」は「革命」とは違い、世界の変革を求めているわけではない。ただ、ある意味でイタズラのような形で、その狂乱へと水を差そうとするだけ。その部分では大きく違うのだけど、でも、私は、修介のようなやり方こそ、虚無感がこれでもかと示されているのではないかと感じる。
そして、その中で犯人ではないか、という包囲網が狭まってくる中での決着は……。この部分については、ちょっと強引にまとめちゃったかな? という感じはする。そこまで、じっくりと描かれていたのにいきなり、という風に感じてしまうだけに……
ただ、それでもバブル時代の中にしっかりと残る格差。その中での虚無感というのはこれでもかと伝わってくる。これはこれで、十分な読み応えのある一作になっている。

No.3390

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