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(書評)誉れの赤

著者:吉川永青


誉れの赤誉れの赤
(2014/06/25)
吉川 永青

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「赤備えは戦場の華なり。人に先んじて敵に当たり、比類なき手柄を上げ、そして……無事に生きて帰る者なり」 戦国最強の部隊・赤備え。天下取りの部隊として、諸国に名を轟かせた甲斐武田・山縣隊の一員であった甲斐の地侍・成島勘五郎と、幼馴染で農民上がりの飯沼藤太は、長篠の戦で敗れた後、生き残りのため徳川へと主家を変える……
著者の過去の作品とは違い(『義経いづこにありや』は、ちょっと違うけど)歴史小説とは言え、有名な武将ではなくその下で働く下級武士を題材とした作品。しかし、だからこそ、「強さ」とは何か? という部分への問いが強く出ているのではないかと感じた。
物語は前半、主人公である勘五郎と藤太が甲斐武田氏に仕え、赤備えの山縣隊に入るまで。そして、その山縣隊が長篠の戦で敗れ、徳川へと主家変えをし、やがて、井伊直政の下、赤備えが再び結成されるまでが描かれる。そして、後半、その井伊直政のやり方を巡って生き方そのものが変わってしまった勘五郎と藤太の生き様へ……
この記事の冒頭にかいた「赤備えは戦場の華なり~」からの言葉。二人の主人公の生き様にそれは大きくのしかかる。生まれつきの武士であり、しかし、体力などで劣っていたりしながらも必死に生きてきた勘五郎にとっての「強さ」は文字通り「戦場で戦い、そして、生きて戻る」というところへと昇華されていく。一方、藤太にとっては、主家を変え、下にも苛烈な新たな主・井伊直政に、それでもついていくことは出来ない。そして、「生きて帰る者」というのであれば……
生き方を変えた藤太のことを、勘五郎が「自分とは違う強さなのかも」というような台詞があるのだけど、確かにそれを感じる部分がどんどん出てくる。ご存知の通り、下克上というような言葉が言われ、戦乱の中、力があれば生まれに関係なく大名にもなれるような時代が終わりつつある。その中で「赤備え」という立場を捨てる、というのは出世とか、上の立場になる、というようなチャンスを失う、ということ。さらに、農民として多くの税を取られ、時に貧しさに困窮するかも、ということでもある。武士のように戦場で死ぬことはまずない。しかし……と考えると、藤太の選択というのもまた強さ、というの間違いない。
そして、そんな両者の人生の行き着いた先。戦場で戦い、そして、生きて帰る、ということ求め、関ヶ原に散った勘五郎。農民として、決して華々しくはないが、何とか生き残るためにその戦場へ向かった藤太。最終的に「どちらが強かった」と言えるのかはわからない。いや、どちらもがやはり別の強さを持ち、同時に、別の弱さにも苛まれた、という風に言えるんじゃないか? そんなことを思う。

No.3658

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