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(書評)鬼はもとより

著者:青山文平



寛延三年、傾いてきた藩の財政を立て直すため、奥脇抄一郎は藩札掛へと召集される。はみ出し者ばかりを集めた藩札掛であるが、師となる佐島兵右衛門の下、その仕組みに開眼していく。だが、間もなく、兵右衛門は病死、さらに飢饉が藩を襲う。そのような中、藩上層部の藩札刷り増しを要求を拒否し、江戸へと向かう……
第17回大藪春彦賞受賞作。同時受賞に『コルトM1851残月』(月村了衛著)
こう見ると、今年の大藪賞は時代小説が独占したのだなぁ……というのがまずいえる。最も、『コルトM1851残月』が、江戸時代を舞台にしつつ、ヤクザモノみたいな雰囲気を感じさせるのに対し、本作は、藩札を用いての藩の財政立て直し物語。時代小説にありがちな、殺陣とか、そういうものは存在しない。
物語は前半、冒頭に書いたように自分の育った藩の財政立て直しを請け負うことになる。しかし、師であり、リーダーであった佐島の死、さらに上層部の横槍により、それは頓挫。師の教えもあり、刷り増しを拒否して江戸へと逃亡するが、結局は失敗。そして、藩は潰れてしまう。そして、江戸へと渡り、万年青の商売などをする中、東北の小藩から藩札での財政立て直しの協力をして欲しい、という依頼が入る……。そこの財政状況は、かつての故郷より、さらに悪い状態。しかし、その責任者である執政・梶本清明の決意は固い……
こういうと、お仕事小説、という感じではある。でも、その中に、やっぱり江戸時代という時代背景が感じられるのが良い。特に、先の梶本清明の姿が凄まじい……
窮乏した藩であるからこそ、切腹でもおかしくない問題を起こし、隠居という立場におかれたままの父。その父に切腹を命じ、同時に覚悟を藩の内外に示す。強権、時に死を命じることすらありながら、藩の財政立て直しを推し進める。タイトルが「鬼はもとより」とあるが、外見、決して強面ではない、むしろ温厚そうな清明が自らを鬼としての覚悟と、それに応え、改革を進めようとする抄一郎の姿というのが非常に印象に残る。
現代を舞台にしても、似たような話は出来るだろう。抵抗勢力との対立とか、そういうのは現代にも通用するテーマ。しかし、文字通り「鬼」と化して、という物語は、この時代でなければ描けないと思う。
しかし、鬼と化した清明はやはり人。自らを鬼とするため、そして、そのケジメをつけるため……あっさりと描かれたものの、その最後の一行は良い余韻になったように思う。

No.3757

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