(書評)子どものまま中年化する若者たち 根拠なき万能間とあきらめの心理

著者:鍋田恭孝



現在、子供の心のままに人生を諦めきった中年のように生きる若者が増えている。先進国の中でも、とりわけ日本でこのようなことが起きているのか? 30年以上、若者たちを見続けた著者による書。
とりあえず、根拠は? そう問いたくなる。
何と言うか、精神科医が、自分の経験だけを根拠に、社会学者のモノマネをしてみました、というだけの書。社会学者が書いた本でも、話の進め方が強引だと感じる本は多いのだけど、門外漢が書いたものだから目も当てられない状況に陥っている。
まず、第1章は、他の論者の引用などを用いて、「若者の現在」を語るのだけど、データの解釈などが我田引水そのもの。33頁からは国際調査で、日本の若者は「将来に向けて努力する」が低く、「人生は運に左右される」が多い、というのを問題視する。でも、この調査のそれって「まったくそう思う」というのが少ない、ということ。「まったくそう思う」っていう選択肢ということは、恐らく「まぁ、そう思う」とか、少し弱めの表現があるだろう、ということになる。日本人の特性って、こういうのでは弱い表現を好むことというのは知られている。「まったく」と、(恐らくあるであろう)「まぁ」(のような)という選択肢を加えたらどのくらい違うのか気になるところ。さらに、この調査は時系列での比較がない。それでなぜ、「今の」と言い切れるの?
51頁の「できちゃった婚」に関する話は滅茶苦茶そのもの。10代で結婚した若者のうち、最近は8割以上が「できちゃった婚」であることを取り上げて「避妊もせず、プランも立てずにセックスしていることになる」などと言い出し、若者の規範意識の低下などとほざく。著者は中学レベルの算数すら理解できていないのだろうか? このデータというのはあくまでも「結婚した中での、できちゃった婚の割合」である。そもそも、十代での結婚は増えているのだろうか? 割合というのは、分数の分子を分母で割った数字。分子に当たる「できちゃった婚」が減っていたとしても、「結婚全体」の件数がそれ以上に減れば割合が高くなるし、逆もまたしかり。そういうことを言い出すなら、実数を出すべきではないのだろうか? このようなものが続くわけである。
第2章は、著者の臨床経験から、うつ病などの患者の変化を示す。ただし、そもそも、これは「過去はこう」「現在はこう」と個別のケースを挙げるだけである。しかし、この個別ケースが過去の一般と言う保証はどこにあるのだろう? そもそも、ここ30年くらいで「精神科」などに対する考えというのが大きく変化したことは抑えねばなるまい。昔は、「精神科」=「おかしな人」くらいの偏見というのがあった。ぶっちゃけ、うちの親父とか、未だにそんな見方をしているし、ちょっと前の小説などでも、そういう描写は珍しくない。勿論、これは傍証に過ぎないわけだが、若者の変化じゃなくて、精神科を受診しやすくなった結果、じゃないんだろうか?
著者の主張は、とにかく、社会環境、メディア環境の変化により、今の若者はエネルギーがなく、コミュニケーション能力がなく、それが現在の若者の状況を作っている、というのが主張。でも、肝心の過去についての検証がない。過去についての基準というのは、「自分はこういう家で、生まれ、こういう経験をしていた。だから良かった」という自分語りだけ。あんたの個人的経験は一般化できるのかよ? という感じである。
そもそも、著者によれば、昔の若者の暴走族とか、家庭内暴力とかは、エネルギーゆえのもので仕方がない。一方、最近の少年事件の犯人の突発的な犯行はコミュ能力の低下などからでおかしくなった証拠などと言う。エネルギーゆえだろうが何だろうが、凶悪犯罪が大量に起きていた事件が良いと思えないし、個々のケースを見ると、現在のそれに似たような犯罪は昔から沢山ある。ただ、それ以上に、暴走族とかそういう事件が多くて目立たなかっただけなのではあるまいか? さらに言えば、今年(2015年)起きた川崎の中1殺害事件の犯人について、会ったこともないのに「こうだろう」などと言うのは精神科医として失格と言えよう。
また、メディアの影響についても、ポルノ作家として有名な岡田尊司氏や、未だに「ゲーム脳」を流布している清川輝基氏の説が出てくる程度で、あとは何ら参考資料がない。メディアの影響で、というなら、そのような影響を論じた文章は数多くあるはずだ。それを参照してみたらいかがだろう?
序盤は、いろいろとデータを示しながらも、色々と我田引水な評価。後半になると、それすら忘れて、「自分はこうだったから」というだけの老人の愚痴だけで、科学的装いすら捨てる。デタラメの一言。

No.3851

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