(書評)新・犯罪論 「犯罪減少社会」でこれからすべきこと

著者:荻上チキ、浜井浩一



犯罪は増えてもいないし、凶悪化してもいない。しかし、メディアでは不安が煽られ、人々は犯罪の増加を「実感」する。そして、さらなる厳罰化を望んでいく。その一方で、効果的な抑止論や更生論については無頓着。そのような状況がどう作られたのか、そして、どうすべきなのか、というのを考察する。
ということで、著者2人による対談形式で語られる書。
正直なところ、本書の内容についてはかなりの程度、知っていることだった(苦笑) 著者の一人である浜井氏の著書もそうだし、また、参考文献として挙げられる書籍も半分以上は読んでいたし。ただ、これは私の側の事情であって、書籍の評価を決めるのはフェアじゃないよなぁ、と思う。
本書の内容は、いくつかのポイントがあると思う。
まず、序盤で語られるのは、犯罪統計の見方。Amazonを見ると、「警察統計が改竄された事件があった。同じことは起こり得るから信用できない。なのに、犯罪減少なんていうのはおかしい」とか言う明らかに読んでいないことがバレバレのレビューが載っているのだけど、この序盤の話でそういう部分はしっかりと説明されている。
つまり、警察統計というのは、警察がこの分野に力を入れました。こういう風に仕事をしました、というものに過ぎない。なので、態度一つで大きく変化する。「過去最悪」などと言っても、力を入れた結果、ということが多い。統計学的な調査と一緒にしてはいけない、ということ。その中で、暗数が少ない殺人(不審な死体が発見されたら、その時点で殺人としてカウントされる。暴行とか、そういうのよりも暗数が少ない)の減少などから減っている、と言う風に判断している、というわけである。
そして、そのような実態が報道されず、いくつかの象徴的な事件が根掘り葉掘り報道される。しかも、「増えている」といわない替わりに、それを並べて「相次ぐ」と報じることによる増加している印象が作り出されてしまう、という構造。そして、そんな不安をよそに、犯罪の実態と乖離した形での厳罰化が進められてしまう。そして、それは、抑止論、更生論は置き去りにされてしまう。
これまた、『獄窓記』(山本譲司著)などでも綴られているのだけど、受刑者の多くは凶悪な人間と言うよりも食べることすらことを書くような人物。高齢者、障害者、外国人……。仕事に就くことが難しく、孤立し、その中で事件を起こす。そんな状況で厳罰化をする、というのは経歴の空白期間などを作り出し、出所後、自立する可能性をさらに下げてしまう。いや、ある意味、それだけならばよい。厳罰化、というのは、事件を起こしたものを刑務所で養わねばならない。それは税金を浪費することに他ならない。裁判などに掛かる費用を使うならば、それを福祉へまわせば……
終盤のイタリアのやり方に学ぼうとか、そのあたりの提案も反対はしないのだけど、これはちょっと理想論かな? と思うところもある。ただ、それを差し置いても、色々と示唆に富んだ書といえると思う。

No.3929

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