(書評)江戸しぐさの終焉

著者:原田実



「江戸しぐさ」は、1970年代に芝三光という人物が「創作」したマナー集とでも言うべきもので、名前とは裏腹に江戸時代の風俗、風習とはかけ離れたまがい物である。そして、その「江戸しぐさ」は創始者たる芝三光のコントロールを離れ、文部科学省や学校教育すら「汚染」してしまった。どうしてこのようなものが拡散してしまったのか? それを「終わらせる」ことは可能なのか? を考える。
以前に読んだ『江戸しぐさの正体』の続編的位置づけの書。第1章で、どう「江戸しぐさ」がデタラメなのかを綴り、2章で広まっていった歴史。その後、3章で後押ししている「親学」についてが綴られる。その後、前著のあとの「江戸しぐさ」に対する風向きの変化などが綴られていく、という構成。
第1章、第2章に関しては、ある程度、前著のおさらい的な内容が多く、また、その後の展開などについてはここで書くよりも、読んでもらえば……という感じなのだけど……
私自身は、本書の中の「親学」で出てくるニセ科学、「ゲーム脳」についての批判のキャンペーンを張ったりしているのだけど(森昭雄氏の著書、1冊丸ごと、文言などを検証したりしたし)、何かその「ゲーム脳」と問題の本質は近いように感じる。江戸しぐさを広めることについて、仮に良いことをしましょう、と言ってもその「根本が嘘」である、ということは、バレたとき、教育学とか、歴史学に対する取り返しのつかない不信感を植え付けることになる、というのは全く同じ事が「ゲーム脳」に対しても言われていたこと。また、江戸しぐさについて歴史学についての研究者が沈黙を保ったことで、広まることを防げなかったこと、というのは「ゲーム脳」について脳神経科学などの世界が動かずに……というのとソックリ。ある意味、ニセ科学とか、そういうものが広まってしまう典型的パターンというのを見出すことが出来るかもしれない、
著者の言うように、江戸しぐさについての疑義というのはかなり広がってきたのは間違いない。そして、笑いの対象としてしまうのが、一番だ、というのも同意見である。
ただ、先に書いたゲーム脳の経緯とかを見ていると、いくら批判しても、それでも信じる人間と言うのは残る。そして、そういうのって意外としぶとくて、批判をされれば「業界にとって都合が悪いからだ」みたいな陰謀論にしたり、皆が忘れたころに復活したり……で撲滅が難しい、という印象がある。その意味では、ここで安心せず、細かく叩いていく、という作業も必要じゃないかな、というのも同時に思う。

No.3966

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