(書評)道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心

著者:管賀江留郎



1950年に発生した二俣事件。同じ静岡県で発生した袴田事件と並ぶ「冤罪事件」として知られる。後に拷問王などと呼ばれる警部補・紅林麻雄ら関係者はどのように動いたのか、そして、どうしてこのような事件が起こったのかに迫る。
WEBサイト、少年犯罪データベース主催者である著者の新刊。前作である『戦前の少年犯罪』は、タイトルの通り、戦前に起きた少年犯罪として、どのようなものがあったのかを紹介。そして、それをある意味、シニカルに綴った書である。対して、本作は、途中、何度か、資料の誤りなどをそのまま書くようなケースが見られる、などの皮肉めいた文言はあるものの、二俣事件などについての周囲を埋めていくという形で綴られていく。
正直なところ、本書を読むのにはかなり骨を折った。普段、私は大体、1日に1冊は普通に読んでいる。まぁ、本書は500頁超あるので流石にその分量だと……と思うのだけど、実に4日も掛かった。
先に「周囲を埋める形で」と綴ったのだけど、その埋め方が半端じゃない。事件の概要。捜査の中で中心的な役割を担った人々。この辺りについては、わからないでもない。しかし、それだけでなく、紅林を「英雄」に仕立て上げる背景となった当時の内務省と司法省の縄張り争いとも言える争い。さらには、その両者の政治姿勢なんていうところにまで話が広がっていく。しかも、それぞれの情報がどういうものなのか、はわかるのだけど、それが本題に繋がるのかも良くわからないままに次の章で、別の部分へ……と構成されていくため、
確かに、バラバラのそれらの情報が、第13章で、アダム・スミスの『道徳感情論』で綴られる内容で結びつく様は「なるほど!」と思わせられる。ただ、それでも読みづらいものは読みづらいよ……という感情も思いながら読み勧めた。そして、あとがき……
むしろ、『道徳感情論』による説明以上に、このあとがきが重要な気がしてならなかった。
確かに「読みやすさ」という意味では、情報を精査し、筋を造り、そして、それを描くに大事なところだけを組み合わせていけば良いだろう。しかし、それは同時に「見たいものだけを見る」ことにも繋がってしまう。様々な側面がある、ということを見落としてしまう。そのように図式的に理解することは進化によって得たものだけど、時に弱点にもなる。そんな話が綴られているのだから。
勿論、本筋ともいえる部分も大事なのだけど、あとがきのところに感銘を受けてしまった自分がいる。

No.4126

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