(書評)自己愛モンスター 「認められたい」という病

著者:片田珠美



自分の欲望をコントロールすることが出来ず、トラブルに発展するケースが増えている。その背景にあるのは、「自分は特別な存在だ」という自己愛である。近年の事件などのケースを題材にして、自己愛が膨れあがるメカニズムを解説した書。
らしい。
著者の作品を読むのは久々なのだけど、以前に私が酷評した『無差別殺人の精神分析』『一億総ガキ社会』などと同じく、まず最初に、「今の日本社会は自己愛が膨れ上がりやすいのだ」という結論があって、そこに事件などを都合よく当てはめているだけの本である。
いや、こういうと何だけど、一般論として、自己愛がこういう形で膨れ上がって……というのはそうかも知れない、とは思う。思うのだけど、それを著者が遭ったこともなければ、周辺を取材したわけでもなく、報道という二次情報だけを頼りに犯罪者などに「こうだ」とレッテル貼りをするのは全くいただけない。精神科医だろうが、心理学者だろうが、相手と直接、対面し、時間をかけなければ、その本質など見えない。ところが、その大事なところを一切していないのだから、もうデタラメと呼ぶに相応しい。
とにかく、読んでいて文章が気持ち悪くて仕方がない。
というのも、犯罪者などについて、「○○だったのだろう」「○○だったかも知れない」「○○だと思われる」と言う憶測を延々と続け、その結論部分になるといきなり「このように○○なのである」と断定口調で書かれていること。いや、全部、思っただけ、ですよね?
例えば、STAP細胞問題で騒がれた小保方晴子氏について、著者はこんなことを書く。「子どもの頃からあまり叱られず育てられたのではないか」「失敗しても許されてきたのだろう」「早稲田大にAO入試で入っているので、理想と現実の実力にギャップがあったのかも知れない」「ノーベル賞を取れるくらいの科学者になりたいという願望があったのだろう。しかし、現実はそうではなかった」 これ、全て、著者が思っただけ、だろう、と……
あまり叱られずに育てられた。小保方氏の子供時代を知る人に聞き込みとかしたの? 理想と現実の実力にギャップがあったかも知れない。だったら、学生時代の成績とか調べなさいよ。何一つ、調べることなく、ただ「こうだったのだろう」「こうなのだろう」だけで話を進め、「小保方氏は空想虚言症と見ている」「空想虚言症は、空想と現実の区別がつかない」などと書くのは単なる誹謗中傷以外の何者でもあるまい。現実の事件などについて語った部分は全てこのパターンである。
ネット、SNSなどの普及で、自己愛欲求が高まりやすくなった、とか、そういう部分についての根拠も全く示されないし、当然のように参考文献のようなものも登場しない。さらに言えば、2000年には17歳による凶悪犯罪が相次いだ、などと書いているのだけど、犯罪統計を見る限り、別に増えても減ってもいない「平年並み」だったりする。マスコミ用語の「相次ぐ」というのは、「増えている、だと虚偽報道になるので、それっぽく見えるけど、言い訳の出来る言葉」として使われるものである。そして、その後の数年で、殺人などは激減しているのだけど……。SNSとかで自己愛が暴走しやすくなった、というのなら、増えていなけりゃおかしいのではないだろうか?
揚げ足取りに終始するのも何なので、最後に個人的な見解を書くなら、都市化とか、ネットの普及とかが、自己愛を強める効果がある、というのなら、逆もまたしかりとも言える。狭い村社会ならその村社会の中で、やっぱり自分を良く見せたいとか、そういう欲求は高まることだってある。普段から顔を突き合わせているからこそ、確執が生まれるとかして、見栄を張る場面だってある。本当は大した実力じゃないけど、狭い村社会の中でトップにたったことで井の中の蛙になることだってあるだろう。
先に書いたような、接見も取材も一切せず、ただ「思っただけ」で実在人物にレッテル貼りをする点。そして、凄く短絡的に「現在は……」と言い出す点。いつも思うのだが、著者は大学の授業で、どのように学生を評価しているのだろう? 私が大学講師で、本書の内容のようなレポートを学生が出してきたなら「はい、単位不可♪」と評価するのだけど……

No.4161

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