(書評)ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 外伝 ソード・オラトリア6

著者:大森藤ノ



大規模な遠征を終えたロキ・ファミリア。「海水浴ならぬ湖水浴や!」 そんなロキの一言で、都市街へ。言葉とは裏腹に、ダンジョンの第2の入り口を探るため、港町メレンを訪れることになったのだが、そこには闘争と殺戮の女王・カーリー率いるカーリー・ファミリアが。そこは、ティオネ、ティオナが育ったファミリアで……
あとがきで、本編の6巻冒頭辺りの裏の物語。
何と言うか、物語の軸となる部分が2つあるために、決して複雑じゃないはずの物語なのに複雑になってしまった感じ。
冒頭に書いたように、ロキ・ファミリアはダンジョンの「もう1つ入り口」を探ること。なぜならば、そうでなければ、ダンジョンに水中でしか生きられない魔物が移動するわけがないから。しかし、捜索した途端に現れる食人花。そんな裏で手を結んでいるイシュタル・ファミリアとカーリー・ファミリア。何かを隠している地元の漁師を束ねるニョルズ・ファミリア。
カーリー・ファミリアとの因縁。仲間同士で殺し合いをさせ、その中で生き残ったものが最強の戦士となる「カーリー・ファミリア」。その中で生まれ育ち、同胞を数々と殺害してきた二人。しかし、その状況に慣れることなく、怒りへと転嫁していったティオナ、物語の世界から外へ行きたくなったティオネ。彼女らはファミリアを抜けた……。しかし、そんな抜けたカーリー・ファミリアの因習は二人を……
同胞同士で戦いあう。殺しあう。そのことにとらわれたカーリー・ファミリアとの中で戦わざるを得なくなっていく双子を上手いこと、目くらましにして、もう一つの謎を隠したかな? という感じ。そして、双子の物語を解決することで、一つの完結という感じにして、一方で大きな流れも一つ前進という構成にしたのは正解だろう。繋ぎ感とかは全く感じない構成になったわけだし。
しかし、このカーリー・ファミリアのやり方って見ていると、文字通り「神は目の前の娯楽だけに興味」って位置づけを強く感じる。本編2巻のソーマも大概だったけど、こっちは眷属を文字通り「使い捨て」にすることで強い戦士を作る、っていうものだもの……。ただ、これって、RPGとかでキャラを合体させて強くする、みたいなものの別の見方なのかな? なんてことも思ったりする。

No.4192

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