(書評)老乱

著者:久坂部羊



3年前に妻を喪い、同じ市内で一人暮らしをしている養父。認知症の老人が線路に入り込み、電車に轢かれたという事件で、家族の責任を問う裁判が起きたことで主婦の雅美は養父は大丈夫だろうかと心配になる。一方、その養父である幸造は、子供たちに迷惑をかけてはいけない、と思っているのだが……
まず言うと、『悪医』あたりから、著者の作品の傾向って変わってきたな、というのを感じる。それまでの作品というのは、医療に関する問題を描きつつ、あくまでもミステリ小説の形にこだわり……こういうと何だけど、最後はグダグダというのが多く、小説としてはあまり関心できるものではなかった。それが、『悪医』以降は、ひっくり返しとかはないけど、医療の問題を素直に描いた小説か、もしくはヘンテコな設定なども盛り込んだ短編集というものにシフト。個人的には、最近の作品のほうが受け入れやすいかな、と思う。
冒頭に書いたように物語は2つの視点で綴られる。一方が、介護をする側である雅美、夫の知之の視点。もう一方が、介護をされる当事者たる幸造の視点。幸造の体調、認知能力、そういうものが題材ながら、それぞれの視点によるズレがまず印象的。
個人的には、前半の話が印象的、かな? 介護する側の視点とすれば、そもそも高齢者になり、自動車の運転とか、ちょっとしたことが気になって仕方がない。実際、車にはこすったりしたような傷もある。知之夫妻も幸造も住んでいるのは大阪市内で、自動車が必須ではない。ならば手放してほしい。しかし、幸造とすれば、自分の人格、能力を否定されているように思える。いや、確かに、たまには道に迷ったりするし、完全に意地悪ではないのはわかるけど……。なにで、車はやめた。しかし、今度は……
まぁ、流石に認知症ではないにせよ、私自身、十代くらいの頃とは勝手が違うな、というのを思うのは事実(苦笑) でも、だからといって……っていう気持ちはすごくわかる。でも、自分の親を見ていると……っていう気持ちもわかる。こういうと何だけど、はっきりと双方の視点で綴られることで、「こういうギャップが生まれるのね」というのを実感できた。
そして、物語が進行する中で、幸造はだんだんとおかしな方向へと進んでしまう。医学的にも認知症という診断がされ、介護も始まる。しかし、金銭的な問題もあるし、いわゆる「まだらボケ」のためにしっかりとしているときも、そうでないときもある。勿論、親の介護に全財産を遣うわけにも行かない。子供の教育費もかかる。そういう中で……
そもそも、進行を遅らせる方法はだんだんと開発されつつあるとはいえ、完治する方法がない認知症。認知症になっても生きがいを、とかいっても、介護する側とすればそれどころじゃない。寝たきりのほうが楽だ、という本音もある。
そんな話なので、劇的な解決策とは、そういうものはない。ただ、状況の中でそれぞれが取れる行動をとり、悪化も良化も繰り返しつつ、幸造が最期を迎えた……という結末。でも、それが現実なのだ、という気がする。
オチがどうこう、とか、そういうことではなく、ただ、実際にこういうケースもありえるんですよ、という一種のシミュレーション。そんな作品であると思う。勿論、その中に、これでもかというリアリティが詰め込まれている。

No.4228

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