(書評)溝猫長屋 祠之怪

著者:輪渡颯介



猫がたくさん住み着いていることもあり、溝猫長屋と呼ばれている長屋。そこでは、3月10日の時点で、最年長の男子だけが、長屋の奥にある祠にお参りをする、という決まりがある。その祠を拝むと、なぜか幽霊が「わかる」ようになる。3月10日、忠次、新七、留吉、銀太の4人は、その決まりに従い、お参りをするようになるのだが……
一応、著者の新シリーズ、ということになるのかな?
これまでの著者の作品は、大人たちばかり(とはいえ、ちょっと抜けていたりとか、そんなのは多いけど) そんな彼らが、幽霊に出会って……という話だったのだけど、今回の主役は忠次たち子供。彼らが、祠をお参りしたことにより、幽霊を見ることができるようになっての騒動を描く形に。
大家とすると、祠に子供をお参りさせると、幽霊が見えるようになる。そして、それを怖がってすぐに奉公に行く、つまり、独り立ちする。しかも、子供たちは、幽霊が出る長屋に戻りたくないから、奉公先で一生懸命働くようになる。それが、より自立を助ける。そんな親心(?)からなのだけど、今回の4人に限っては……
4人の子供がいて、それぞれが幽霊について「嗅ぐ」「聴く」「見る」をバラバラに担当。そして、いたずらに行った先で次々と……。目に見えるのも嫌だけど、臭いとか声とかも結構、嫌なはず。けれども、いろいろといたずらする逞しさにあふれた4人。しかも、その中の一人・銀太だけはなぜか何もなくて、「仲間はずれで嫌だ」とごねる始末。他の面々は嫌な体験なのに、それがズルい、と言い出す辺りとか、この辺りのユーモアはやっぱり著者だな、という感じ。
で、そんな体験の裏に見え隠れするのは、かつて起こった殺人事件。それを大家や、岡っ引きの弥之助らは追っていて……
それぞれの幽霊騒動から、やがて一本の話へと結びつく。その辺りのまとめ方は手慣れたものと言えるだろう。
ただ……何というか、『皆塵堂』シリーズとかのような爽快感は感じられなかったかな? というのが正直な感想。というのは、『皆塵堂』などの場合、主人公は、幽霊を巡ってのやりとりなどを通じて、自分を見つめなおしたりとか、心を回復したりとか、ちゃんと成長をしている。それに対して、今回は子供たちはただ、懲りない面々として騒ぎを起こすだけ(それが子供らしくていい、という部分もあるのだが) それを見て大家とかが事件を解決する。騒動とその背景についてがイマイチ、結びついていないのである。そのため、すべてが解決した! っていう爽快感にはイマイチかけたなぁ、と思ってしまうわけである。
あと、もうちょっと猫が活躍してほしいな。タイトルからしても。

No,4301


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