fc2ブログ

(書評)欺きの童霊 溝猫長屋 祠之怪

著者:輪渡颯介



お使いの最中、銭を落としてしまった銀太は、霊を見たせいにしよう! と空き家に忍び込む。ところが、そこには本当の幽霊が……。そして、祠参りをして以降の霊の現象がまた始まってしまって……
シリーズ第3作。
ある種のメタネタかもしれないのだけど、4人の子供たちが、「見る」「嗅ぐ」「聞く」という怪現象をバラバラに体感する本作。でも、ある意味で、ワンパターンともいえる。そして、そのことを子供の一人・銀太が「芸がない」と言ったことで、本当に変則的に起こるようになる、という話。
なんていうか、今回は、子供たちが悪知恵をつけているなぁ、というのを感じる話。冒頭の話からして、幽霊が見えるようになった、ということで逆にそれを利用して、失敗を霊のせいにしちゃえ、というところからしてそうでしょ。さらに、霊が見えるようになった、という中で、じゃあ、なるべく怖くなさそうなところに行こう、ということをしてみたり……と、なんか付き合い方を覚えてきた、とでもいうか……。勿論、そうはいっても所詮は子供の知恵。怖くないだろう、と思った場所で思わぬ形で怖い霊に当たってしまったり、思わぬ真相にぶち当たってしまったり……。その辺りの詰めの甘さが「らしい」と感じる。
また、表向きはあまり活躍しないけど、そんな子供たちの周囲の面々も面白い。霊を見るようになった、ということで、幽霊話のあるところへと子供たちを連れまわし、子供たちを恐怖のどん底に突き落とすお紺ちゃん。子供たちを守ろうとするんだけど、今回は悪党と徹底的に痛めつける、ということができなくて欲求不満に陥っていく蓮十郎(明らかに目的が違っているやん) そして、シリーズ3作目にして、初めて活躍の場があった猫たち……と、これまで2作のパターンを変則的にしてきた意味というのも十分に感じられる。
一応、最後のエピソードでつながりは出てくるのだけど、作中でも出てくるように変則的になった結果、関係のないエピソードも結構あって、普通の短編集的な印象が強かった。ただ、シリーズを重ねることで大分、キャラクターに愛着がわいてきて、馴染んできたな、というのを感じる。でも、子供たちが、奉公へなんていう話も具体化してきて、このシリーズも曲がり角に来ているのかな、というのも同時に感じた。

No.4596

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

当記事は、「新・たこの感想文」に掲載するために作成したものです。
他のブログなどに、全文を転載することは許可しておりません。
「新・たこの感想文」以外で全文を転載したブログ等がありましたら、それは著作権を侵害した違法なものとなります。

スポンサーサイト



COMMENT 0