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シュレディンガーの猫探し

著者:小林一星



探偵は「真実」を求め、魔女は「神秘」を求める。そして、人は時に解かれたくない謎があり、秘密にしておきたい真実がある。探偵嫌いの守明令和は、文芸部部長の芥川くりすの紹介で、「迷宮落としの魔女」焔螺と出会う。謎こそを「神秘」ととらえる焔螺と、謎を解きたい「探偵」との対決が始まる……
第11回小学館ライトノベル大賞・審査員特別賞受賞作。
これはまた、変わった趣向の物語でございまして……
物語は3章構成で綴られており、1章では密室で起きた事件。2章ではクローズドサークルで起きた事件……という風に謎が提示される。そして、それぞれに「探偵」が現れて謎を解こうとするのだけど、それを令和、焔螺が「謎は謎のまま」にして解決するのか……という戦いが開始される。
なんていうか、これ、ある意味ではミステリー論とでも言うべきものだよな、というのを思わずにはいられない。
物語は各章、どういう状況があって、どういう部分が不可解な状況であるのか、というのが提示される。勿論、その状況整理はミステリ作品の推理そのもの。そして、令和たちも、そういうことを踏まえている。しかし、そこからのアプローチが違う、というか……。令和たちと対立する探偵側のアプローチは、普通のミステリ同様、その謎が合理的にどう説明できるのか? ということへと向かっていく。一方、令和、焔螺たちのアプローチは……
例えば、東野圭吾氏の『新参者』は、「真実が明らかになることで、次の一歩へと進むことが出来る」というようなメッセージが綴られていた。しかし、真実が明らかになることで、取り返しのつかない傷を負ったりすることもある。それよりも、謎を謎と残しても、その問題は解決できるのならば? このあたりのやりとり、アプローチの違いって、謎をどう扱うのか? というミステリー作品の在り方に繋がっていくものがあると思う。そして、例えば、第1章の結末とか、まさに、そのアプローチの違いを如実に示しているエピソードだと思う。
まぁ、このあたりの「謎をどう扱うのか?」という話において、その謎がどういう種類のものなのか? なんていう部分に委ねられる部分も大きいと思う。例えば、殺人事件が発生して、なんていうときには、誰が犯人なのか? とか、謎のままじゃあねぇ、っていうこともあるし。その辺の、設定とかも色々と考えられている、というのを感じる。
そういう意味で、ミステリ作品における、謎の扱い、っていうことに色々と思いを巡らせることになった。

No.5520

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