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そこに無い家に呼ばれる

著者:三津田信三



友人である編集者・三間坂とのやり取りの中で出た話題。それは、「家そのものが幽霊」というものはあるのか? そんな話題が出てきたのは、蔵から発見された3つの記録。封印されていたそれに綴られていたのは、すべて、「家そのものが幽霊」というもので……
『どこの家にも怖いものはいる』、『わざと忌み家を建てて棲む』の続編的な意味合いを持っている作品。語り部が、著者の名前そのもので、蔵から発見された記録を読み、その解釈をしていく、という作風の作品でもある。
その中のものでも、一番、分量が多いのが『新社会人の報告』。就職を機に、転勤になった姉夫婦の購入した家に住むこととなった語り部。建売の住宅街であるが、隣の土地だけは空き地となっている。そして、時に、そこに「ないはずの家」が見えて……。いつもその家が見えるわけではない。さらに、近所の人からは、そこに建物を作ろうとすると事故が起こって……ということが起きていることを知らされる。その中で、語り部自身も、どういうときに家が見えるのか、というのがわかるようになっていって……
隣の、ただの平凡な空き地。そこに何かある、という不気味さ。そして、その理由である「家」が、ある特定の行動をした時に限って現れ、なぜかその家に呼ばれているような気がする。話としては、まとまっていないのだけど……それゆえの不気味さ、というのはかんじられた。
一方、2編目の『自分宛の私信』はその逆。周囲の人々はそこに家がある、と認識している。しかし、語り部たる私に、その家の存在は認識できない。ただ、空き地があるだけ。こちらは、自分の認識が正しいのか? それとも……という、一種の認知に関する迷路という雰囲気の話。そして、3編目、精神科医が、患者に箱庭療法を行うのだけど、その患者は奇妙な行動をとり、そして、ある日、消えてしまって……
そして、その3つの物語を通して……。何度となく三津田が「決定的な解釈は出来ない」というセリフを口にしているように、とりあえずの解釈を示しただけ、という感じはする。それでも、一応の説明はついているのだけど。そういうところのモヤモヤ感も含めて、このシリーズらしさ、と言えばそうなのかもしれない。

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