FC2ブログ

私の中にいる

著者:黒澤いづみ



母子家庭のアパートで、母親の変死体が発見された。殺してしまったのは、日々、虐待を受けていた小学生の娘。だが、事件以降、彼女は「人が変わったような」言動を取り始める。過度の精神的負荷による解離性人格障害が起きているのではないか……と言う噂も出る中、彼女は児童自立支援施設へと送られ……
結構、前後半でカラーが変わるなぁ……。文字通り、舞台そのものが違う、っていうのもあるんだけど。
母親を殺害した、として、児童自立支援に送られた萌果。しかし、その自立支援施設では、何度も脱走を図る問題児であった。情熱に燃え、やたらと構おうとして来る小川。周囲には優しい先生としてふるまっているが、明らかに人によって態度を変える志木。そして、志木に恋し、姉のように振舞ってくる梓。そんな周辺の人間に辟易として、子どもとして扱われることにイライラする日々。
ここまでだと、ある意味で大人ぶっている不良少女の、一種のひねくれた思考……ということになるのだけど、その中で萌香は、自分は萌香ではなく、その母親である、という認識を持っていることが示される。そして、事件が起き、彼女は別の施設へと移動することとなり……
前半の施設とは異なった雰囲気。寮を切り盛りする夫妻は自分の事件などには触れず、ただ雑談などをするだけ。カウンセラーの齋藤も、萌香の言葉について否定も肯定もしない。最初は、何だこれは……と思いつつも、しかし、自分の過去であったりを考える時間が出来上がっていって……
小説としてのサプライズであるとか、全体の構成を考えると、前半の話が必要なのは確か。特に、解離性人格障害ではなく、母親の人格がそのまま娘に……という特殊な設定を考えると、これがないと……っていうことになるだろう。ただ、物語の主題はどう考えても後半のやりとり。
ろくでなしであった母親の元に生まれ、悲惨な生活をした幼少時代。そんな彼女が、やはり相手のわからない娘を生んだ。自分そっくりに育っていく娘。だからこその苛立ち。ただ虐待をされていた娘、という立場ではなく、双方の立場を俯瞰してみることが出来る立場。そして、施設のスタッフとのやり取り。そういうものをとおして、虐待の連鎖がなぜ起こってしまったのか? というところに自ら心が動いていく。自己肯定感とか、そういうものを二つの舞台、二つの立場を俯瞰できる設定を作ることによってこういうものなのだ、というのを理解させる、というところのうまさが際立っている。物語だからこそ作れる話、なのではないかと思う。

No.5638

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

この記事は、「新・たこの感想文」に掲載するために作成したものです。
他のブログなどに、全文を転載することは許可しておりません。
「新・たこの感想文」以外で全文を転載したブログ等がありましたら、それは著作権を侵害した違法なものとなります。

スポンサーサイト



COMMENT 0