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(書評?)脳内汚染…文庫版のあとがき

著者:岡田尊司

脳内汚染 (文春文庫 お 46-1)脳内汚染 (文春文庫 お 46-1)
(2008/06/10)
岡田 尊司

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秋葉原の事件の結果か、ワイドショー、夕刊紙などで滅茶苦茶な「原因探しゲーム」が行われている。そんな中、岡田尊司氏の『脳内汚染』の文庫版が発売になった。本編の部分については、以前に書いたのだが、今回、そのあとがき部分について、あまりにも酷い部分が多いので、その部分に絞って書いてみたいと思う。

まず、著者は単行本が発売された際、様々な反響があったことを示す。その中には、「ゲーム脳」理論と混同したものなど、「読んだのか?」と思えるようなものもあったり、「見識と品格を疑うような反応もあった」と言う。
それは、「根拠に乏しい」と大学の名誉教授が述べたことを、業界がパンフレットにして学校に配ったなどことなどを挙げ、さらに「バーチャル社会のもたらす弊害から子供を守る研究会」での一幕を挙げる。以下は、引用である。

 ものものしい空気の中、密室で行われた警察庁の研究会は、極めて神経をすり潰すものであった。ゲームの問題に専門的な知識をもつのは、情報メディア論専攻のもう一人の委員であったが、その委員は、ゲーム業界団体に関わる人物で、終始ゲーム業界を擁護する発言を続けた。当然、議論はなかなか噛み合わなかった。平行線状態を打破すべく、私は研究会の席に、いじめとメディアなどの影響に関する論文を初め、いくつかの論文を持ち込み、各委員に配布して、説明を行った。他の委員の理解と助力もあり、ある程度、本書で展開した主張を、報告書に反映させることが出来ていると思っているが、依存症の問題については、会の趣旨との相違もあり、あまり盛り込むことができなかった。ただ、この研究会には、業界の関係者も参加し、問題点を直接説明することもできた。私はテレビゲーム業界団体からの出席者に、依存症の問題をなぜ放置するのかと質したが、依存症についての調査らしい調査を行っていないことを認めただけで、何ら前向きな答えは得られなかった。2006年のクリスマスに、当会の報告書が出され、その後の行政の一つの指針となっている。



もう一人の委員というのは、お茶ノ水女子大の坂元章教授である。まるでこの文章を読むと、業界団体となぁなぁの坂元教授が、会議そのものを滅茶苦茶にしたかのような印象を与える内容である。では、実際、この会議での様子がどうだったのかは、冬枯れの街の遊鬱氏が詳しく検証されている。具体的には、こちらなどを参照のこと(参照記事1参照記事2
一連のものを読んでいただければ、わかるが、単に著者の言っている事が完膚なきまでに論破されただけである。
続いて、著者は、日本神経科学学会の津本忠治会長が「科学的根拠が乏しい」と言ったことについて述べる。どういう意図なのか計りかねていたが、津本氏も情報機器、ゲーム依存が発達に及ぼす影響を研究テーマに挙げていることを知り、以下の結論に達したという。

 津本氏自身も、私とそれほど違わない問題意識をお持ちなのだ。ただ、これから研究しようとしていることの結論を私が軽々しくも先に述べたことがお気に召さなかったのではないかと。



まるで、津本氏が、先に優れた結果を示した著者に嫉妬した、とでも言いたげな結論である。問題意識を持っているからこそ、慎重に研究を重ねなければならない、と言うのは当然のことだろう。問題意識だけが先走れば、誤った解釈、誤った結論に達してしまう危険性が高いのだから。そういう部分を理解できないのは致命的である。
その後も、自分の問題意識と世間の温度差に戸惑ったこと、さらに、国主導での研究が見送りになったことを述べ、「寝屋川調査」について述べる。
「サンプル数が多いこと」「公立中学校の生徒と言うコホート集団であること」を理由に「信頼性が高い」と延べ、「奇跡」とまで述べる。
だが、この調査は、書評でも書いたが、「ゲームの影響による凶悪犯罪」とされる事件が起こった直後に起こった地で、メディアとの関係を聞く、と言う極めて偏ったサンプリングを行ったものであり、バイアスだらけなのである。
そして、海外では様々な研究が行われているが日本では立ち遅れている。危険なテクノロジーに囲まれているんだ、と主張してあとがきは締められる。

さて、どうだろうか? あとがきにおいて、著者は「批判は全て的外れ」「業界の陰謀」と言う論調であり、あくまでも自らの正当性を訴える。だが、著者の言う一つ一つは、それぞれ、極めて極端な、極めて一方的な部分のトリミングに過ぎないのである。
本書を読む際は、そこで訴えられている効果であるとか、研究であるとかを、著者の解釈ではなく、別の解釈などと併せて読むことをお勧めする。

…本文より長い書評になってしまった(笑)

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COMMENT 2

後藤和智  2008, 06. 12 [Thu] 13:58

 お疲れ様です。

 「と学会」などの初期の本(『トンデモ本の世界』など)などを読んでいると、少なくともそれらの本が書かれた時期は、自分の主張が受け入れられないのは奴らの背後にある組織の陰謀だ!と主張する人はおおむね「トンデモ」として認識されるような素地があったと思います。

 ただしこれは時代背景と言うよりも陰謀論の中身の問題なのかもしれません。今の陰謀論は変にイデオロギー的なものではなく青少年問題を持ち出す故、世間や政府に対して発言権を持ってしまうのでしょうか。大変嘆かわしい限りです。

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たこやき  2008, 06. 12 [Thu] 19:34

後藤さんへ

どちらかと言うと、時代というよりも、中身、テーマの問題じゃないかと思います。
教育や安全などの場合、日本人のほぼ全てに関わる話ですからね。政治、経済、先端科学…などは、読む人がある程度限られますし、そういう場合、基礎知識などを持っている、ということも多いですから。
あと、岡田尊司氏にしろ、森昭雄氏にしろ、著書や講演などを見ると、非常にうまい「騙しの技術」を持っていると思います。いかに恐怖を煽るか、など…。
その辺りの読者層の幅広さと、技術、この2つをつなぐことで、発言力を高めてしまっているのではないか、と言う風に私は思っています。

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