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春夏秋冬代行者 春の舞

著者:暁佳奈





春夏秋冬の季節は、人間に一部の力を与え、季節は四季の代行者によって変化させられることとなった。春の代行者たる雛菊は賊に誘拐され、10年間、春を顕現させることができずにいた。苦難を超え、代行者としての復活を果たした雛菊は、従者であるさくらと共に各地を巡る……
電撃文庫で上下巻構成、しかも、同時刊行というちょっと珍しい形で刊行された作品。
冒頭に書いた粗筋だと、旅モノみたいに見えるけど、春夏秋冬、それぞれの代行者、そして、その従者である八人を中心とした関係性の物語、ということになるのかな? 上巻のあとがきで、著者が「それでも生きていく」という言葉を綴っているのだけど、その言葉が、物語の中で大きな意味を成している。
10年前、僅か6歳で賊に誘拐された雛菊。代行者は現人神として人々にあがめられる一方で、季節を顕現させるための「システム」として認識されている部分もある。もし、代行者が死ねば、一族の中からその力を持つ者が新たに現れる。雛菊が誘拐された「春」。しかし、早々に捜索は打ち切られてしまった。そのことに納得できず、方針にも反して雛菊を探し続けたさくら。しかし、雛菊は殺されることなく、長き時間を経て戻ってきた。精神的な傷を負った状態で。雛菊を救えなかった、見捨てた側に回ってしまった後悔に苛まれるさくら。それでも、再びさくらは、雛菊の従者として、今度こそは……と考える。
一方で冬の代行者・狼星。10年前、自分が襲われ、雛菊に救われ、代わりに……という過去を持つ。そのこともあり、春との関係は劣悪。しかし、その一方で、10年の時を経てなお、雛菊への想いは続いている。そして、幼き代行者・撫子とその従者・竜胆。夏の代行者と従者である双子の姉妹……
上巻では、それぞれの関係性などが描かれ、やがて、賊によって秋の代行者・撫子が誘拐されてしまう。その中で、各代行者・従者は撫子奪還のために協働することになっていく……
撫子奪還戦と言う部分はあるのだけど、その協働の中で交じり合うそれぞれの感情。その傷となっている、雛菊の誘拐。その中で、雛菊が言う「自分は死んだ。自分は偽物」と言う言葉の意味。賊の、強烈な悪意により、という部分はある。あるのだけど、でも、普通に生きていたとしても、例えば、小学生と中学生。中学生と高校生……人間は成長に伴って考え方も、自分の在り方も色々と変わっていくもの。極端ではなくとも、そういう部分があることを考えると、それは違う、という感じもまたする。ただ、そういう極端な経験をして、それでも生き残ってと言う葛藤。それはまさしく「それでも生きていく」という一つのテーマ的なものに収束している、というのも事実なのではないかと思う。
人間であり、しかし、システムでもある代行者たち。その従者たち。それぞれの、傷、想い。そういうものがこれでもかと凝縮された素晴らしい作品だった。面白かった。

No.5844 & No.5845

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Tag:小説感想電撃文庫暁佳奈

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