著者:貫井徳郎


厳罰化が進み、人を一人殺したら死刑となるようになった日本。そんな日本で起きた事件を描く短編集。全5編というか、第1部で4編と、第2部で1編という構成。
1編目『見ざる、書かざる、言わざる』。デザイン会社を経営するデザイナーの男が目、指、舌を失った姿で発見された。被害者はなぜ、そのような目にあったのか? 警察は関係者に聞き込みを行うが……
犯人が誰なのか? とか、その辺りの特定は結構、アッサリ。ただ、その中で考えるのは、やはり犯人がそうした理由。人を一人殺せば死刑。ならば? 確かに殺してはいない。しかし、そこで与えたのは死に等しい、いや、死よりも残酷なこと。これは許されるのか? 結構、後味の悪い終わり方なのだけど、ある意味、この結末は物語世界の序章と言える話なのだろう。
2編目『籠の中の鳥たち』。孤立した山荘。そこで不審者に襲われた女性が、その不審者を殺してしまった。仲間は、その遺体を埋め、隠ぺいしようと考えるのだが、第2の事件が起きて……。クローズドサークルとなった山荘で起きる事件という本格モノの展開。アリバイとか、そういう部分もあるのだけど……。何か、話としてある種のドタバタ劇というような印象がする話。まあ、この状況で、極限状態に陥ったら……こういう思考になってしまう、ということもあるのかも知れない。
3編目『レミングの群れ』。イジメを苦にした中学生の自殺。世間は学校、そして、加害者やその家族の言動に対し、怒りを爆発させる。そんな中、加害者と言われる少年が殺害されるという事件が起きて……。ある意味で、すごくタイムリーな話かもしれない。読んでいて、それを感じる。
「死刑になりたいから」なんていう動機で起きる殺人。しかし、以前であれば、何人も殺さねばならない。しかし、一人を殺せば、という時代。しかも、その標的となるのは世間から絶対的な悪とされている存在。英雄となって、しかも、目的を達することができる。この作品を読んでいる最中、安倍元総理が殺害され、しかも、その背景に某宗教団体の存在がいわれている。本作のように、加害者が絶対的な正義とはされていないものの、しかし、問題を明らかにしたとか評価をするような言説も出ている状況。そういう世界だからこそ、のことを考えてしまう。一種のひっくり返しもあるけど、それは別にして。
そして、5編目、第2部である『紙の梟』。
ミュージシャンである笠間は、恋人である紗弥が殺害されたことを知る。逮捕された男は、紗弥が父親から財産を奪い、自殺に追い込んだことを恨んでのものだという。そして、紗弥は偽名であることを知る……
このエピソードは、物語の集大成と言えるのだろう。今まで知らなかった恋人のこと。信じたくはないが、しかし、恋人は犯人の父を自殺に追い込んでいた。しかし、恋人の過去を調べる中、彼女もまた苦境の中にあった。だからこそ、死刑にしないでほしい、と犯人に対して思う……
人を殺すことは確かに悪。しかし、そこまで追い込まれた人間の思いが存在している。一方で、紗弥のようにそれを悔い改めて……ということもある。人を殺したら死刑。それはわかりやすい。しかし……
この事件で何かが変わったのか、というと、そうではない。もしかしたら変わらないのかもしれない。しかし、そういう考えを持つことが……
そんなことを思わせる話だった。
No.6290

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この記事は、「新・たこの感想文」に掲載するために作成したものです。
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1編目『見ざる、書かざる、言わざる』。デザイン会社を経営するデザイナーの男が目、指、舌を失った姿で発見された。被害者はなぜ、そのような目にあったのか? 警察は関係者に聞き込みを行うが……
犯人が誰なのか? とか、その辺りの特定は結構、アッサリ。ただ、その中で考えるのは、やはり犯人がそうした理由。人を一人殺せば死刑。ならば? 確かに殺してはいない。しかし、そこで与えたのは死に等しい、いや、死よりも残酷なこと。これは許されるのか? 結構、後味の悪い終わり方なのだけど、ある意味、この結末は物語世界の序章と言える話なのだろう。
2編目『籠の中の鳥たち』。孤立した山荘。そこで不審者に襲われた女性が、その不審者を殺してしまった。仲間は、その遺体を埋め、隠ぺいしようと考えるのだが、第2の事件が起きて……。クローズドサークルとなった山荘で起きる事件という本格モノの展開。アリバイとか、そういう部分もあるのだけど……。何か、話としてある種のドタバタ劇というような印象がする話。まあ、この状況で、極限状態に陥ったら……こういう思考になってしまう、ということもあるのかも知れない。
3編目『レミングの群れ』。イジメを苦にした中学生の自殺。世間は学校、そして、加害者やその家族の言動に対し、怒りを爆発させる。そんな中、加害者と言われる少年が殺害されるという事件が起きて……。ある意味で、すごくタイムリーな話かもしれない。読んでいて、それを感じる。
「死刑になりたいから」なんていう動機で起きる殺人。しかし、以前であれば、何人も殺さねばならない。しかし、一人を殺せば、という時代。しかも、その標的となるのは世間から絶対的な悪とされている存在。英雄となって、しかも、目的を達することができる。この作品を読んでいる最中、安倍元総理が殺害され、しかも、その背景に某宗教団体の存在がいわれている。本作のように、加害者が絶対的な正義とはされていないものの、しかし、問題を明らかにしたとか評価をするような言説も出ている状況。そういう世界だからこそ、のことを考えてしまう。一種のひっくり返しもあるけど、それは別にして。
そして、5編目、第2部である『紙の梟』。
ミュージシャンである笠間は、恋人である紗弥が殺害されたことを知る。逮捕された男は、紗弥が父親から財産を奪い、自殺に追い込んだことを恨んでのものだという。そして、紗弥は偽名であることを知る……
このエピソードは、物語の集大成と言えるのだろう。今まで知らなかった恋人のこと。信じたくはないが、しかし、恋人は犯人の父を自殺に追い込んでいた。しかし、恋人の過去を調べる中、彼女もまた苦境の中にあった。だからこそ、死刑にしないでほしい、と犯人に対して思う……
人を殺すことは確かに悪。しかし、そこまで追い込まれた人間の思いが存在している。一方で、紗弥のようにそれを悔い改めて……ということもある。人を殺したら死刑。それはわかりやすい。しかし……
この事件で何かが変わったのか、というと、そうではない。もしかしたら変わらないのかもしれない。しかし、そういう考えを持つことが……
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