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春や春

著者:森谷明子



「俳句は鑑賞に値する文学とは呼べません」 そんな国語教師の言葉に反発した茜は、友人の東子に顛末を話す中で悔しさが募り、俳句甲子園を目指すことにする。立ち上げた俳句同好会に集ったのは、鋭い音感を持つ理香、論理的な弁舌に長けた夏樹たちで……
以前に読んだ『南風吹く』のスピンオフ……ではなくて、スピンオフ元となる作品。要するに、読む順番が逆になった、ということ。
で、『南風吹く』の場合、瀬戸内の離島の学校。過疎化もあり、数年後の廃校も決定しており、そんな学校を卒業後にどうするのか? とか、主人公たちの葛藤とか、そういう部分にも多くが割かれていたのだけど、本作の場合は、本当にストレートに俳句甲子園を目指す、という部分に焦点が当てられている。
で、前作でもルールがどうとか、そういうところに「ほ~」と思った部分とかが多かったのだけど、本作は一作目ということもあり、よりそのルールとかを深堀りしたような印象。例えば、メンバー集め。書道家だったり、音楽をやっていた子だったり……。一見するとそれが? と思うのだけど、音楽をやっていたからこそ、音の並びとかに敏感になったり、直接、ではないけれども披講(句を披露すること)の際のイメージとかに繋がったり……。批評をしあうとか、そういう部分でのやりとりは、『南風吹く』でも描かれていたのだけど、より、色々な要素が武器になるんだな、というのを強く感じさせるメンバーになっているな、と感じる。
その上で、本作の場合、同好会の面々と言った面々の視点が切り替わる形で描かれていく。その中には、茜と対立した国語教師の富士とかもいて、嫌味な人なのかな? と思いきや、確かに俳句は文学か? というようなところでは対立したものの、いざ茜らの活動を見る中でアドバイスをするなど、良い教師として仕事をする。また、茜と同好会を立ち上げた東子。創作はダメ、と言いながらも、マネージャーとして、選手たちのサポートをこれでもかと行っており、文字通り、運動部のマネージャーとか、そういう存在として活躍する。よりまっすぐ「部活モノ」感を得ることができた。
その中で、個人的に、一番、印象に残ったのが、同好会の顧問となった英語教師・新野が言った言葉。勝敗を決める試合ではあるのだけど、あまり勝ち負けにはこだわらない新野。その新野は、こんなことを言う。
「同じく夏に行われている大会。例えば、プロ野球選手になるには、甲子園大会などで注目されなければダメ。スポーツ選手もインターハイなどに出ていなければ、将来のトップにはなれないはず。しかし、将来、俳人として活躍する人が、ここに出ているとは限らない。だから、楽しめ」(意訳)
なんか、本来、部活動って、そういうものだよな、というのを感じた。

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Tag:小説感想森谷明子

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