ルポゲーム条例 なぜゲームが狙われるのか
- 28, 2023 11:20
- や行、ら行、わ行の著者
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著者:山下洋平


「ゲームは1日60分まで」 2020年、香川県議会で制定された「香川県ゲーム・ネット依存症対策条例」(通称・ゲーム条例)。不透明な制定過程や科学的根拠を指摘されるこの条例について、地元テレビ局の報道記者が迫った書。
ということで、この「ゲーム条例」が制定されるまでのアレコレ。そして、その後の裁判。その条例について、周辺の人々の考え。さらに、制定から数年が経過してからのことについて記されている。
まず、最初に言うと、この条例に関する条例案が登場し、そこからのアレコレというのは、自分自身、色々と注目していたので、色々と覚えている。捏造疑惑としか言いようのないパブリックコメントの「賛成票」(そもそも、パブリックコメントは、賛否を問うものではないのに) 議事録すら残らない形での審議。さらに、パブリックコメントの内容などについて、審議をするはずに議員に渡されたのは議決の数時間前という暴挙。挙句、「賛成が多いんだから早く決めろ」の一言。科学的根拠についての疑義は別としても、その過程のひどさ、というのは改めて思う。せめて、議事録は残すべきだろう。
その上で、本書を読んで、初めて知ったのは、その後のこと。この条例は違憲だ、という(当時)高校生が起こした訴訟。それが原告敗訴になったことは知っていたのだけど……。裁判が続く中で、原告が弁護士とも連絡が付かなくなっていって……というのは初めて知った。書の中でも書かれていたけど、その裁判が始まった時、ポータルサイトのコメント欄で「損害賠償を請求するなんて、金目当てか!」みたいな誤解に基づくもの意見を見かけたのだけど、行政相手の裁判の難しさ、って言うのをすごく感じる。被害を受けた、などの当事者でなければ裁判を起こせず、しかも、損害賠償のようにその回復を求めなければならない。この条例のように、未成年者が対象だと、訴えを起こせるのは未成年者になってしまう。しかも、十代くらいって、人生において大きな変化点が山のようにある時期。大人だって、数年間かかるとしたら、その間に人生の立ち位置が変わるけど、それが未成年者なら……。裁判を起こすためのルールの周知から、数年間も掛かる裁判を起こす難しさ。それを感じずにはいられない。
その他にも、条例のなかでも、数年後にその状況を確認して……とあるのにそれをしない香川県議会やら、新型コロナウィルスの影響もあって制定後、制定前よりも子供のゲーム時間が増えたことについて「なかったらもっと増えていたはずだ」なる、謎の自己分析でお茶を濁すところとか、色々とツッコミを入れたくなる。
そして、もう一つ、この本で書かれていたことで印象的だったのは、依存症治療をしている医師や、親御さん言葉。それは、この条例で「ゲーム依存症を防ぐために家庭は指導せよ」と定められているけど、条例が出来たからできます、っていうわけじゃない。むしろ、「家庭は指導せよ」とすることで、「依存症の子供がいる」=「指導できないダメ親」扱いになり、今でも苦しんでいる家庭がさらに追いつめられるのではないか? というもの。下手をすれば、「ダメ家庭」扱いを恐れて問題を見過ごして、さらなる悪化へ結びつく可能性もあるんじゃないか、とも。
この辺りの話って、昔、岩佐京子氏が「テレビを見せると子供が自閉症になる」と主張したことで、自閉症の子供を持つ親が「ダメ親」扱いされた、というのと同じ構図。こういった過去の事例とかも踏まえていないやり方なんだよな……。そういう意味でも、この条例の主張というのは問題を孕んでいると言えるはず。
本書に書かれている内容だけでも、色々と問題のある条例だ、というのは確かなのだけど、そこから他のことにも派生させて物事を考えさせられた。
No.6630

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この記事は、「新・たこの感想文」に掲載するために作成したものです。
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「ゲームは1日60分まで」 2020年、香川県議会で制定された「香川県ゲーム・ネット依存症対策条例」(通称・ゲーム条例)。不透明な制定過程や科学的根拠を指摘されるこの条例について、地元テレビ局の報道記者が迫った書。
ということで、この「ゲーム条例」が制定されるまでのアレコレ。そして、その後の裁判。その条例について、周辺の人々の考え。さらに、制定から数年が経過してからのことについて記されている。
まず、最初に言うと、この条例に関する条例案が登場し、そこからのアレコレというのは、自分自身、色々と注目していたので、色々と覚えている。捏造疑惑としか言いようのないパブリックコメントの「賛成票」(そもそも、パブリックコメントは、賛否を問うものではないのに) 議事録すら残らない形での審議。さらに、パブリックコメントの内容などについて、審議をするはずに議員に渡されたのは議決の数時間前という暴挙。挙句、「賛成が多いんだから早く決めろ」の一言。科学的根拠についての疑義は別としても、その過程のひどさ、というのは改めて思う。せめて、議事録は残すべきだろう。
その上で、本書を読んで、初めて知ったのは、その後のこと。この条例は違憲だ、という(当時)高校生が起こした訴訟。それが原告敗訴になったことは知っていたのだけど……。裁判が続く中で、原告が弁護士とも連絡が付かなくなっていって……というのは初めて知った。書の中でも書かれていたけど、その裁判が始まった時、ポータルサイトのコメント欄で「損害賠償を請求するなんて、金目当てか!」みたいな誤解に基づくもの意見を見かけたのだけど、行政相手の裁判の難しさ、って言うのをすごく感じる。被害を受けた、などの当事者でなければ裁判を起こせず、しかも、損害賠償のようにその回復を求めなければならない。この条例のように、未成年者が対象だと、訴えを起こせるのは未成年者になってしまう。しかも、十代くらいって、人生において大きな変化点が山のようにある時期。大人だって、数年間かかるとしたら、その間に人生の立ち位置が変わるけど、それが未成年者なら……。裁判を起こすためのルールの周知から、数年間も掛かる裁判を起こす難しさ。それを感じずにはいられない。
その他にも、条例のなかでも、数年後にその状況を確認して……とあるのにそれをしない香川県議会やら、新型コロナウィルスの影響もあって制定後、制定前よりも子供のゲーム時間が増えたことについて「なかったらもっと増えていたはずだ」なる、謎の自己分析でお茶を濁すところとか、色々とツッコミを入れたくなる。
そして、もう一つ、この本で書かれていたことで印象的だったのは、依存症治療をしている医師や、親御さん言葉。それは、この条例で「ゲーム依存症を防ぐために家庭は指導せよ」と定められているけど、条例が出来たからできます、っていうわけじゃない。むしろ、「家庭は指導せよ」とすることで、「依存症の子供がいる」=「指導できないダメ親」扱いになり、今でも苦しんでいる家庭がさらに追いつめられるのではないか? というもの。下手をすれば、「ダメ家庭」扱いを恐れて問題を見過ごして、さらなる悪化へ結びつく可能性もあるんじゃないか、とも。
この辺りの話って、昔、岩佐京子氏が「テレビを見せると子供が自閉症になる」と主張したことで、自閉症の子供を持つ親が「ダメ親」扱いされた、というのと同じ構図。こういった過去の事例とかも踏まえていないやり方なんだよな……。そういう意味でも、この条例の主張というのは問題を孕んでいると言えるはず。
本書に書かれている内容だけでも、色々と問題のある条例だ、というのは確かなのだけど、そこから他のことにも派生させて物事を考えさせられた。
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