著者:大森藤ノ


BOOK☆WALKER
露になった王都の秘密。囚われた王女、そして、仲間たちを救うため、アルゴノゥトは『精霊の祠』へと向かう……
ということで、『アルゴノゥト』の物語・後編。
1巻の時は、状況としては緊張感に溢れるような状況だけど、女性を見れば口説きにいき、いざ、戦いだ、と言えば逃げ回って周囲に助けを求めてばかり。ただし、口だけは達者というようなアルゴノゥト。そんな彼だけど、流石に後編になると……
王都守護の秘密であった「ミノス将軍」の正体。それは、王族をいけにえにして飼いならしている魔物・ミノタウロス。それを打開するためには、強力な武器が必要となる。そこで、精霊の力を借りるため、彼らが住まうと言われている祠へ。魔剣を作ることができる、というクロッゾ。巫女であるオルナらと共に……
相変わらず腕っぷしとかはあまり頼りにならないし、クロッゾの打つ武器のネーミングセンスは……って感じだし、祠でアルゴノゥトらが出会う精霊とのやり取りはギャグそのもの。……ではあるのだけど、後編になると、やっぱり格好良いんだよな。常に笑顔で、「悲劇や惨劇はいらない。喜劇だけで十分!」と言い切るアルゴノゥトの言葉。「百を救うことはできないが、一は救う。できれば十を……」そんな彼の信念
。その背景にあった過去。前章では、ただのおバカ、という感じだったアルゴノゥトだけど、そんな信念を実現するために行う演出だったりとか、頭が切れるところを見せる。
さらに、そんなアルゴノゥトに協力する者たち。妹であるフィーネはともかく、その他の仲間たち。ユーリだったり、ガルムスだったり、オルナだったり、クロッゾだったり……。彼らは文字通りアルゴノゥトが英雄候補選定の旅に出てから出会った、出会ったばかりの面々ばかり。付き合いとしてはごくごくわずかな期間だけ。けれども、アルゴノゥトの無茶苦茶な言動などに振り回されながらも、しっかりとその考え方に感化されている。
「英雄」と言うと、文字通り一騎当千の戦いっぷりをする者なんていう印象があるのだけど、仲間を巻き込んで、なんていうのもまた「英雄」なんだよな。そんな「英雄」の在り方っていうのは、後の時代、ファミリアが出来、チーム戦で……なんていう後に繋がるからこそ、「はじまりの英雄」と言われるようになったのだろう、なんてことも。
そして、この作中の最後で描かれるアルゴノゥトの結末と、伝承の差異。ここもまた、「喜劇」と通そうとしたアルゴノゥトの意思が反映されているのが彼らしく、でも、ちょっとほろ苦かった。
No.6829

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この記事は、「新・たこの感想文」に掲載するために作成したものです。
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王都守護の秘密であった「ミノス将軍」の正体。それは、王族をいけにえにして飼いならしている魔物・ミノタウロス。それを打開するためには、強力な武器が必要となる。そこで、精霊の力を借りるため、彼らが住まうと言われている祠へ。魔剣を作ることができる、というクロッゾ。巫女であるオルナらと共に……
相変わらず腕っぷしとかはあまり頼りにならないし、クロッゾの打つ武器のネーミングセンスは……って感じだし、祠でアルゴノゥトらが出会う精霊とのやり取りはギャグそのもの。……ではあるのだけど、後編になると、やっぱり格好良いんだよな。常に笑顔で、「悲劇や惨劇はいらない。喜劇だけで十分!」と言い切るアルゴノゥトの言葉。「百を救うことはできないが、一は救う。できれば十を……」そんな彼の信念
。その背景にあった過去。前章では、ただのおバカ、という感じだったアルゴノゥトだけど、そんな信念を実現するために行う演出だったりとか、頭が切れるところを見せる。
さらに、そんなアルゴノゥトに協力する者たち。妹であるフィーネはともかく、その他の仲間たち。ユーリだったり、ガルムスだったり、オルナだったり、クロッゾだったり……。彼らは文字通りアルゴノゥトが英雄候補選定の旅に出てから出会った、出会ったばかりの面々ばかり。付き合いとしてはごくごくわずかな期間だけ。けれども、アルゴノゥトの無茶苦茶な言動などに振り回されながらも、しっかりとその考え方に感化されている。
「英雄」と言うと、文字通り一騎当千の戦いっぷりをする者なんていう印象があるのだけど、仲間を巻き込んで、なんていうのもまた「英雄」なんだよな。そんな「英雄」の在り方っていうのは、後の時代、ファミリアが出来、チーム戦で……なんていう後に繋がるからこそ、「はじまりの英雄」と言われるようになったのだろう、なんてことも。
そして、この作中の最後で描かれるアルゴノゥトの結末と、伝承の差異。ここもまた、「喜劇」と通そうとしたアルゴノゥトの意思が反映されているのが彼らしく、でも、ちょっとほろ苦かった。
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